合わせる、合わせないを主体的に決める事ができる因子は、選択でなんとかなるかもしれない。実際自分もそうしている。生活の知恵だね。でも、精神的な苦痛を受け悩んだ末に割り切る、という行為に対するコストを被ることがなんか癪に障る。プンプン。
選択でなんとかなる部分はそれで我慢できよう。だが、アタマの出来(知性や性格などを含む)や外見など自分の意志ではどうにもならず、また社会的・肉体的生存にとってクリティカルに効いてくる部分が非主流だとどうか。何らかの特殊技能あるいは外的補助因子(=金)がない限り、死ぬまでストレスを感じ続ける確率がぐっと高まる。
ある階層や集団に所属している人が、「あなたはある階層や集団に形式上属しているのに実質属していない」というのは、社会生活送ってるレベルでは普通は非難だと思うけど。
逆にこれを非難だと考えていないで発したのなら、それはそれで失言、思慮不足という別の問題が生じるなあ。
まぁ、ネタにはするでしょう。
しねーよ。
そして、彼らの目が写真の真ん中に降りていき、「外国人お断り」の張り紙を見ると、こういった差別が日本に存在する事を理解します。
いや、理由があっての「外国人お断り」ですから。真っ当な日本人なら、そう理解します。
差別と区別は違います。
そして最後に写真の一番下まで目を向けると、こういった張り紙を違法とする法律が提案されている事を知り、願わくば賛同してくれる事でしょう。
いや、しねーし。ザパニーズの人は賛同してくれるだろうけれど。
ネガキャン凄いのね…。
そんな感じの予想を言われると内心傷つきながら黙って見ていたけど。
マンガ絵の模写は全くせずにデッサンばっかりやってたんだけどな…。
ただ、自分で考えて描いていってもまだ納得がいくように上手く描けない。
それはそうと、20代の初めに「脳の右側で描け」を読んで、
「絵を描くのは右脳」という信仰を抱いていた時期があったけど、
どうも絵を描く時は、右脳で大枠の形をつかんで、左脳で細部を描いてるっぽいから
「脳の両側で描け」に改名してほしいとひそかに思っている。
乖離が大きい人は大きい人で他人に合わせるのにコストがかかりすぎるんで開き直って他人と合わせることなく生きている場合もある。
他人に合わせるよりも合わないことで起こる不具合を我慢する方がよっぽどコストが少なかったりするからだ。
不具合と言うのが「他人から変人という目で見られる」という程度のことであれば、気にしなければそれでいい。
そうすると、他人に合わせるコストと合わせないことで起こる不具合を我慢するコストとがちょうど等しくなるぐらいの中間の人が一番悩むのかもしれないが、それ以上乖離が大きい人は合わせない方を選択していると思われるので、中間の人の必要なコストが最大であるというのは正しくもあり間違ってもいる。
悩む分のコストがもったいないだけであり、悩むのをやめてどちらかにすることでコストは最小化できるはず。
項目ごとにどちらにするかは自由だけれど、どんな項目であってもどちらかに決めれば楽になるよ。
わかるわー。
俺はエロゲーをメインヒロインルートで一回クリアしたら満足するようになった。脇役ルートはどうでもいい。メインルートもCtrlで飛ばしながら読むことが多い。あの文庫本何冊ものテキストは疲れる。CGはセーブデータを拾ってきて100%にする。高い金はらってタスク背負ったのにそのタスクを省力化するってどういうことだろうと我ながら呆れる。
20代後半、社会人♂、未婚。
学生の頃だったら、やり込み要素をやりたいたい思ってたし、実際にやってたけど、
社会人になってから、手っ取り早く遊びたいっていうのがある。
もう今更、伏線全回収的なことはしようとさえ思わない。
無理な条件での展開はYouTubeで探す。
おまけ的な最強敵キャラも、「へぇそうやって倒すんだ」で十分満足できる。
じゃあ、最初っから最後までYouTubeでいいじゃんってなるかもしれないけど、
それはちょっと違う。自分で動かしている感じは欲しい。
だから買っちゃう。映画とは違う。
世界に入り込んでる感がほしい。
要するにパッケージ感が大事。
ゲームを楽しんでいるというより、
慰み物?的なところがある。
だから、やっててストレスを感じるのは嫌だ。
考えて攻略とかあり得ない。
映画の作成手法として、
最低15分に1回セクシーシーンを挿入するというのがあるけど、
たらたらプレイしてイベントが15分に1回出てくる感じで十分。
そして、まっすぐクリア。
実はこの時が一番楽しい。
モチベーションが上がったら。
あまりに大変ならやらない。
納得するな。世間を攻撃しろ。俺に合わせない社会は狂っていると叫べ。何の苦痛もなく平和に生きていける連中に噛み付け。さもなくばはてサの資格はない。
考え方や見た目などの生得的な性質が世間が求めるそれと乖離が少ない人ほど、他人に合わせることなく(というか、ほぼ素で生きても他人から避難を受けにくいだけで、結果だけ見れば合わせているということになるが)生きてこれたんだろうなあ。まれに、ズレが非常に小さい人がいるんだけど、そういう人に正論垂れられると凹むというか妬ましいというか、なんとも言えない残念な気分になる。はい、ごもっともで御座ります。
あとなんだろう。
こんなこと本気で考えてるからいつまでたってもサヨなんだなあ。
debito.orgの読者の一人であるSteve氏による投稿です(有道氏の投稿ではない)。
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「問題、反応、解決
DM氏の案(http://www.debito.org/?p=5475#comment-188363)には僕も賛成だ。
いや、本気で取り組んでみましょうよ。僕らの最終的な目標は差別を禁止する法律を日本で成立させる事ですし。
誰かこの時代のローザ・パークス夫人になる勇気のある人はいませんかね?これを読んでる誰かにそんな人がいてほしいですが。
現状、個人で経営されている施設が国籍を理由に利用を拒否する事が実質合法ですが(そうでなくとも、実質罰せられていない)、ならば個人施設が日本人の利用を拒否すれば日本の国民だって物凄く反発するでしょうし、「個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる」と明記した法律の必要性を理解してくれるのではないでしょうか。間違いなくそういった法律が要求されるようになると思いますが。
ひとまずこんな作戦を提案してみます:法律を守った善良な市民(税金も保険も年金も∀完全に収めていて、ビザの拒否といった反撃の恐れもあるので出来れば日本国民か永住者)で、何らかの施設を経営していて(バーやレストラン、お店など何でも)、損害保険に加入されていて(右翼に窓を割られたりするかもしれないので)、そして一番大事ですが、勇気のある方が、「日本人お断り」や「日本人入店禁止」、「非日本人の方のみ歓迎」等といった張り紙を、ちゃんとお店の前に日本語で貼りつけます。さらにその写真の下には、日本中で見られる、いわゆる「ジャパニーズ・オンリー」の張り紙の写真を張ります(www.debito.org/roguesgallery.htmlや、特に日本語でも書かれているhttp://www.debito.org/edensign030707.jpgなど)。そしてさらにその下には、「日本には『個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる』という法律が必要」という旨が書かれた張り紙を張ります。
しっかりと書かれたプレスリリースと、「日本人お断り」の張り紙、「外国人お断り」の張り紙の写真のポスター、そして差別の違法化を訴える一文を一つの写真に写したベストショットを用意するのです。
恐らく多くの新聞やテレビ番組がこれを取り上げるでしょう。「日本人お断り」と書かれた張り紙が写っている、写真の上の部分を見た日本人の方々はもちろん激怒します。そして、彼らの目が写真の真ん中に降りていき、「外国人お断り」の張り紙を見ると、こういった差別が日本に存在する事を理解します。そして最後に写真の一番下まで目を向けると、こういった張り紙を違法とする法律が提案されている事を知り、願わくば賛同してくれる事でしょう。
こういった「問題、反応、解決」テクニックは、頭のきれる指導者によって、間違った目標へと市民の意識を向けるのに利用されてきました。例えば、テロリストの作り出した「問題」が恐怖や怒りといった「反応」を引き起こし、指導者の望む「解決」、つまり人権やプライバシーの現象、他国への空襲や武器のための増税を市民に納得させる、といった具合です。今こそ、この手法で「平和的」な小さな問題(差別的に入場を拒否する標識)を引き起こし、それに対する反応を促し(人種差別に対する怒りを引き立てる)、そして最終的に国民がこういった差別を廃止する法律を求める声を上げさせるべきです。
ただ、一部の新聞やテレビ番組は写真の上半分にのみ重点を置き、下半分をカットして無視してしまうという事も十分考えられます。なら、「外国人お断り」の写真を「日本人お断り」の写真の中に入れるなどすれば(法案も含めて)、一番大切な部分を無視しようとする編集者の働きを阻止する事が出来るかもしれません。
この他に、日本に反差別法を成立させるための、より効率的で真剣なアイディアのある方がいれば、是非ともお聞かせください。
そして、このスレッドの中でポジティブな意見を書き込んで下さってる方の中に「私がやる!」という方が現れる事を期待しています。スティーブより。
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「いかにあなたが普段○○SNSを巡回してないかということを再認識させられました」
と、責められました。
再認識しただけで責めてないよ!