2009-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20091224191618

合わせる、合わせないを主体的に決める事ができる因子は、選択でなんとかなるかもしれない。実際自分もそうしている。生活の知恵だね。でも、精神的な苦痛を受け悩んだ末に割り切る、という行為に対するコストを被ることがなんか癪に障る。プンプン。

選択でなんとかなる部分はそれで我慢できよう。だが、アタマの出来(知性や性格などを含む)や外見など自分の意志ではどうにもならず、また社会的・肉体的生存にとってクリティカルに効いてくる部分が非主流だとどうか。何らかの特殊技能あるいは外的補助因子(=金)がない限り、死ぬまでストレスを感じ続ける確率がぐっと高まる。

贅沢な悩みかもしれないが、出来る限りストレスフリーに生きたかった。

記事への反応 -
  • 考え方や見た目などの生得的な性質が世間が求めるそれと乖離が少ない人ほど、他人に合わせることなく(というか、ほぼ素で生きても他人から避難を受けにくいだけで、結果だけ見れ...

    • 乖離が大きい人は大きい人で他人に合わせるのにコストがかかりすぎるんで開き直って他人と合わせることなく生きている場合もある。 他人に合わせるよりも合わないことで起こる不具...

      • 合わせる、合わせないを主体的に決める事ができる因子は、選択でなんとかなるかもしれない。実際自分もそうしている。生活の知恵だね。でも、精神的な苦痛を受け悩んだ末に割り切...

    • 納得するな。世間を攻撃しろ。俺に合わせない社会は狂っていると叫べ。何の苦痛もなく平和に生きていける連中に噛み付け。さもなくばはてサの資格はない。

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