http://b.hatena.ne.jp/pwiser/20091130
http://b.hatena.ne.jp/pwiser/20091201
この世から消えれば良いなんて言葉は
正気の奴には書けないよなあ。
獣はたくさんいるが自制しているから強姦件数はそれほど多くなっていない、という意味なんじゃない
自制出来てたら獣じゃないじゃんという反論は認める
というか、「たったこれだけの条件」すぎて、逆に難しい要求だわ。
レイプ関連で連呼されているので獣性と呼んだけど、その呼び方に限定せず、要は感情についての徒然。
嫉妬だとか、闘争心だとか、焦りだとか、そういう人を焚きつけて動かす衝動、みたいなもの全般のことについて、ちょっと書いてみようと思う。
これらは、良い面で見れば、誇りやプライドを生み出すものでもあり、美学を生み出す原動力でもあり、勇気や度胸の源でもあると私は思う。
生命に「今ここに生きている」という実感を与える、命の万能感を与えてくれる、人によってはその感情こそが自我の一部だとさえ感じられる、そう言う類の物。
命のありかたそのものだと思うのだ。
でも、そういうのが全てなくなっても、多分人類は何も困らないと私は思う。
これはSFなんかでもさんざんテーマにされてきた、絶望的なけれども大いにあり得る推測なんじゃなかろうか。
普段性欲が無くても、必要な時だけ薬を使ったり、人工授精したりで、もはや子供は作れる。将来的にはもっともっと安価で簡単になるだろう。
恒常的な性欲のせいで、心理的傷を負い社会生活に支障を来たし、生産力になれなくなる人が出るくらいなら、恒常的に性欲をなくしておいて、必要な時のみ、必要な量だけの生殖活動が行うようにした方が、社会はより生産的に上手く回るかもしれない。
「いい女とエッチするために出世したいから人は働くんだ」と言う人もいるが、性欲が弱い人だけしか世界にいなかったとしても、明日おいしいご飯を食べてあったかいベッドで寝て、趣味をまったり楽しむ、という目的だけで、充分働くことが出来てしまうから、別にエッチをご褒美にしなくても社会は回ってしまうだろう。
セックスだけじゃない。
人は何かを誇るから、何かを差別する。何かを誇ってしまった時点で、それはそれ以外の物に対する差別そのものだからだ。
誇りを捨ててしまえば、差別もなくなる。差別がなくなれば、しがらみに囚われない裁量により、適材適所を推し進めることが出来、社会の生産性を上げることが出来る。
感情や衝動。そういうものがなくなったら「人はきっと何かとにかく、生物として致命的な欠陥を負って、駄目になるかも知れない」と、いう意見をしばしば目にするけれど、今までの歴史を振り返ると、どうも実際は「一定の技術力がその感情を代替できるようになれば、人類はその感情を捨てることによって、駄目になるどころか、むしろ繁栄する」が正解な気がする。
人類は大まかに分けて、原始社会→中央集権社会→資本主義社会 と発展していったのだけど、その度に一つずつ「大切」だと言われていた感情を捨ててきたんじゃないかと思う。
原始的な社会では、恥の概念がとても強く、恥を避けて生きることに、美学を見いだす(細かいことは文化人類学とか、まぁそんな感じでググってくれ)。
今でも原始的な生活を続ける部族は、自然をあるがままに受け入れ、その範囲内で最適な行動を取ることが美しいとされる世界観を持っている。自然に逆らって、環境が気にくわないとがなりたて、書き換えようとするのは、みっともないと感じる価値観だ。
だが、恥も美学も捨てることによって、自然に従うのではなく、抗ってコントロールし、支配することに成功した中央集権社会が、おおよそ原始社会よりも高い生産性を持ち、彼らを歴史の影へ追いやった。
文字の発明によって、数万人単位の人間が法によって共同作業できるようになったため、分業化が進んだからだ。自然を理解しそれに合わせて生きなくても、ただひたすら法に従って生産活動していれば、自然を逆に支配できるほどの力を得られる。
これによって人は、恥の概念を捨てて、支配者の定めた法からはみ出すことのみを恐れる、罪の概念を得た。
日本は先進国では珍しく、原始アニミズムの信仰を未だに強く残している国だが、これは明治維新時に、中央集権的な思想を一部取り入れつつ、資本主義にシフトしたからこそ発展できたわけで、江戸時代以前のままの体制を続けていれば、今の日本はなかっただろう。
一方、中央集権社会の、剥き出しの支配欲の元となっている「誇り・プライド」さえも捨ててしまったことで、発展したのが資本主義社会だ。
資本主義を支えるのは単純な損得勘定と、それを支える「リスクへの恐怖感」だけだ。もはや罪の概念すら必要でなく、ただひたすらリスクを避けるために踊り続けていれば回る社会だ。
人が人を支配しなくても、代わりにお金がそれを代替してくれるようになったから、人に誇りも意地も必要なくなったのだ。
資本主義社会で戦争が起こるのは、おおよそデフレの時くらいであり、つまりは高すぎた生産性を下げるために、わざと誇りや意地を煽って生産性のない破壊活動を行う始末であり、当然その背後にある有り余るほどの生産力は、中央集権社会を八割方駆逐した。
この流れが続くとしたら、多分、人はそのうち、リスクに対する恐怖心が無くても、うまく社会を回せる発明品を手に入れるのかも知れないと、私は思う。恥も、支配欲も捨てることで発展してきた人類が、次のステップへいつの日か進むことも、充分あり得ると私は思う。
そしてそれらを突き詰めていくと、人類の発展とは、感情を一つ一つ捨てていく作業に他ならないのかも知れない。
感情を捨てたことで人類が滅びれば、まだある意味人類は救われる。私達の中にある、自我の一部とも言うべき様々な感情は、必要な物だったと証明されるからだ。
でも実際はその逆に進むのではないかと私は思う。
人間がただ計算するだけのコンピュータの用に生きるようになったとしても、多分人類は何も困らず、むしろますます発展していく。していってしまう。
人間はシステムを動かすための素子であり、人類としての主体はむしろ、社会システムの方にある、そんなSFみたいな世界も、案外本当にいつの日か実現してしまうのではないかと、そう考えてしまう。
それでもって、人の獣性を肯定して、「人の獣性はなくなるわけないんだ!! なくなることを期待しちゃいけないんだ!! むしろ自衛本能という女の獣性を駆使してそれに立ち向かえ」みたいに説いている人というのは、社会システムが支配する世界が訪れないように、戦っている人なのかも知れない。
システムを挟まず、主体性を持った命と命がぶつかり合う、システムに主体性を譲り渡さない世界を、願っているのかも知れない。
最近の流れを見て、ちょっとだけそう思った。
まぁ、だからといって、セカンドレイプを看過していいわけではないと私は感じているし、それを制するためのシステムを発明する必要があるだろう。
ただ、そんな私自身の発想自体が、多分世界をシステム化していく原動力なんだろうな、とも思うのでした。
以上。
http://anond.hatelabo.jp/20091203200413
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〜T/H
パソコンを買いに行ったよ。
僕はパソコンには詳しくないから見てもらったんだ。
・横31cm 縦26cm
・15万円以内
たったこれだけの条件を出しただけで大パニック!
他の店員を呼んで、その店員がまた条件を聞いて・・・。
なに?この条件はそんなに厳しいの?
これくらいの案内してもらわないと電機屋に行く意味ないくね?
それなら増田に愚痴ポエム書いてないで、実践しろ・・・と思うのだが、釣りなのだろうか
あとあなたの言う汚い感情なんぞ誰でもある程度はもっているから
被害者自衛論がレイプ願望の隠れ蓑として通用しなくなったら、今度は子育てだの少子化だの日本の未来だのを隠れ蓑に使おうということかw
お前、ただ単に女をレイプしたいだけなんだろ。
自衛だの子育てだの少子化だの日本の未来なんてものには、本当は興味ないんだろ。
やっぱり、自衛厨と処女厨って似てるんだなぁ。
自衛厨=処女厨説
自分はごくごく少数派のノイジーマイノリティーなのに、男は皆自分と同じ感覚を持っていて自分は多数派だと信じて疑わないところとか、処女を獲得するため/強姦を正当化するために必死で理屈をこねくり回すところとか。
以前何かの本か新聞かで読んだんだが、DV男を更正させる会というのがあって、そこの相談員は男なんだわ。
で、DV男の特徴っていうのが、決まって相談員(男)に、「男なら仕方ないよな」「同じ男なら分かってくれるよな」と、『男』を理由にするらしい。
自分個人の考えや要望を上手く口にして伝えられないので、『男』を理由にして自分を正当化し、「お前は間違っている」「お前は従うべき」という思考になって暴力に走るんだと。
T・・・鉄腕アトム
E・・・エンゼルの丘
D・・・どろろ
U・・・海のトリトン
K・・・きりひと讃歌
A・・・アドルフに告ぐ
O・・・おれは猿飛だ!
S・・・シュマリ
A・・・奇子
M・・・MW
U・・・上を下へのジレッタ
T・・・鉄腕アトム
E・・・エンゼルの丘
D・・・どろろ
U・・・海のトリトン
K・・・きりひと讃歌
A・・・アドルフに告ぐ
O・・・おれは猿飛だ!
S・・・シュマリ
A・・・奇子
M・・・MW
U・・・上を下へのジレッタ
T・・・鉄腕アトム
E・・・エンゼルの丘
D・・・どろろ
U・・・海のトリトン
K・・・きりひと讃歌
A・・・アドルフに告ぐ
O・・・おれは猿飛だ!
S・・・シュマリ
A・・・奇子
M・・・MW
U・・・上を下へのジレッタ
孤立したい。
誰にも攻撃されることなく、誰も傷つけることもなく、平穏に生きていきたいんだ。
愛情も友情も、僕は嫉妬とか疑いとかで迎えてしまう。
その汚い感情で誰かをまた傷つける。
自分も苦しくなる。
それなら、愛も友も、なければいいのだ。
僕が一人になれば、それでいいのだ。
死人のように、誰とも関わらず、
誰にも悟られず、死んでいく。
なんか、特定してくれと言わんばかりのデータだねコレ…
オンリーの参加サークルリストを数個突き合わせればあっさり出そうな…
めんどくさいからやらないけど。
かまってちゃんだよなあ。
「1000も売ったらピコ手じゃない」とでも言ってほしいのかね。
ある意味二極化ですけれど、明文化しなければ意味が無いとでも?
まぁ、大して罪の無さそうな本屋を捜索させた件と繋がっていますが、
いずれやると思ってた。
何でも法で解決したがるのはインポ野郎のする事です。
〜T/H
お前さんも昨日か一昨日に見たろ?
「何とかしてヤれる方法有りますか?責任取らずに。」
とか言っているマヌケが居たから、
「ヤれば良いだけだよ。性犯罪だけど。」
と言ったらそれっきりになった。
ワタシとは違って「法ありき」の考え方でね。
隠蔽したがるのさ。バラバラにして山に埋めたりな。
獣はそこまでせんよ。
〜T/H
先日ちょっと、有給とは何かについて考える機会があったので、なんとなく自分の考えをまとめてみる。
ことの起こりは、事務所のアルバイトの「有給って何だ。仕事していないのに給料支払わないといけないとか、意味ワカンネ」という発言に対し、とっさに気の利いた反論ができず、苦汁を嘗めた事なんだが…。
この時、さくっときれいな反論ができなかった自分は相当社蓄脳っぽくなっててやばかったと思う。
あと、パートタイマーの人がそんな経営者みたいな考え方・しゃべり方をするのを目の当たりにして、気が動転した。
まあひょっとすると、ウチのアルバイト形態の人には一切有給の適用がないので(本当はそれも違法だが)、ねたみ心から出た発言というのもあったのかもしれない。
で、有給に対する私の考え。
労働者が法定どおりの勤務をずうっとずーっと続けていると、それこそ休みの日は文字通り休む日になってしまい、遊びに行くとか、趣味にふけるとか、そういうことが難しくなると思う。
それこそ、生きるために働くのか、働くために生きるのかわからなくなると思う。
だから、最低限、本当に自分のために使える時間を人生の中で確保できるように、労働基準法がギリギリラインを引いて守ってくれているのだと思う。それこそ、最低限の文化的な生活とか、幸福追求権とか、そんなレベルの最低限の法律とつながる話だと考えている。
正社員の多くはそうだと思うんだけど、月○○万みたいな感じの雇用契約を結んでいて、経営者はわかりやすい人件費コストとして、月給+交通費+社会保険料を脳内で積み上げているはず。
二代目以降の、自分で銀行まで納付用紙持って行った事のないアホな経営者は、社会保険料の事をよくわかっていなかったりするかもだけど。
実際、年に何回の労働保険料を経営者に見せたりすると、「何だよ、高ェな。畜生」みたいな顔をする。最初からある程度見込めたコストだというのに。不愉快顔される覚えはない。
社会保険(今や社会保険や厚生年金は、被扶養者がいる世帯にのみ旨みのある制度で、それ以外の多くの労働者はアオリばっかりのクソ制度だが)と同様、有給だって義務なのだから、経営者は従業員を雇い入れるときに有給も人件費コストとして見積もっておくべきだ。
“従業員のみんなが働いている時、誰か一人がいきなり「有給使って休みます」というのに首を縦に振らないといけない制度”みたいな認識がそもそも誤りなのだ。
たとえば、月給25万で雇うなら、雇用契約を結ぶ時点で、「一日換算で8,333円、半年後に10日分83,333円のコストとして…」という風に、包括的に人件費と費用対効果をみて人を採用すれば、頭の冷静な経営者なら、有給という単語を聞くたびにそんな苦虫を噛み潰した顔にならずに済むし、労働者側も遠慮が要らなくなる。例えば、貸倒引当金みたいに、従業員一人雇い入れるたびにそういうのを計上しないといけない仕組みにすれば、経営者の意識も少し変わると思うんだけど(取り崩し方がちょっと特殊になりそうだが)。
薄っぺらな結論で申し訳ないんだけど、人件費を見通せない(あるいは見通すのが面倒くさい)バカな経営者が、夏休みの宿題を大量に残した小学生的不愉快な気持ちを従業員に八つ当たり的に押し付けているせいで、有給を取れない社風を作っていると思うんだけど。
この考え、どうかな。