http://anond.hatelabo.jp/20090923122843 の増田だけど。
tonbo うーん…他の人が言うように自分でそういう作品書いたらいいのでは… 2009/10/09
最悪だ。ある作品に触発されて激しい批判を書いた人がいたとき、投げかける言葉が「自分でそういう作品書いたら?」ですか。極トンが何か批判してたら、「なら自分で書けば?」と言っていいってことですよね。いやぁ、楽しみだな。新人賞の審査員やるんですよね(http://konorano.jp/introduction/)。ということは、作品に優劣をつけるってことですよね。そのときにはネガティブなコメントもしますよね、きっと。そのコメントを受けた作者はみんな、「文句言うならお前が書けよ」と考えていいってことですよね。そういう話じゃないのか。そういうこと考えて書いてんの? このブコメ。
トンボにも呆れたし、こういう奴に「評論家」を名乗らせて平然としている、自意識ばかり肥大した、「目利き」気取りなライトノベル読者たちにも呆れた。太鼓持ちな文章ばかり吐き出す業界ワナビーを量産して、デカいツラさせるだけなら、そんな集団は滅べばいいとしか思えない。今すぐにでも。
久々に夢の中に部活の同期がでてきた
つじつまは合ってないけど、宝をみつける為にパーティーを組むという話
そこで背後から切りつけられゲームオーバー
その時の残忍な笑いが、なぜか一緒にパーティーを組んでいた
味方からも聞こえ、怖くなって飛び起きた
二日酔いだわ、目覚めは悪いは3連休の始まりとしては最悪だった
人を卑屈にさせるには悪意に満ちた表情と、ほんの少しの苦笑で十分だ
それだけで、気の弱い人間は下手に出ざるを得ない
その心を見透かされ、さらに強く踏み込まれもう立ち行かない
強い人間にまだ慣れない
もう慣れないかもしれない
「女どうしでつるんでいるようなオンナにロクなのはいない」
これ。どうよ?これ。20年生きてきて、ようやく俺様もそういう事が分かるようになってきた。
ちなみに、10人のオンナと付き合ってきた。それくらい付き合うと、だいたいオンナの見分けがつくようになるの。
「こいつは駄目なオンナだな」というのが分かる。そうしたら、駄目なオンナとは最初から友達にならないの。
そうしたら、無駄な恋愛して、変な修羅場に巻き込まれたりせずに済むって訳よ。わかる?
俺様の経験から言うとだな、「オンナどうしでつるんでいるようなオンナにロクなのはいない」んだよ。わかる?
つまり、独立出来ていないということだな。オンナどうしでつるんでいるということは、独立出来ていないんだ。
そういうオンナはいろいろと駄目だな。うん。これは間違いない。
一応、誤解のないようにいっておくとあなたの責任を追及しているわけではありません。
エンジニア的には共通化することは正しくても、
システム変更の工数とか会社営業的な視点とかでは正しくない場合があり
判断基準を明確にする事は難しいというのは認識が一致していると思っています。
ただ技術力、設計力のない人と思われている人間に設計を丸投げして、
(内部設計書にどのような共通関数を作成するか明記させていない、
その責任を実装担当者に押し付けているのであれば、それは横暴ではないかと思うのです。
責任者(そのプロジェクトではどのような設計が、適切に共通化した設計か判断できる人間)とレビューする
プロジェクトを成功させるための役割/権限/責任をもっています。
他の投稿で書いた通り内部設計書通りに実装していなければ、実装担当者の責任です。
それは、貴方の体験ではそうだったかもしれないけれど、
私の体験では逆だなぁ。
ただ、まぁ、共有化しまくったソースは、文脈が解りづらいよね。
色んな部品にポンポン飛ばされるだけでも、苦痛な人には苦痛だろう。
どこにも部品を持たずに、処理の順番にダラーっと書かれているのが一番読みやすい。
それって結局、要件定義を逐語訳したようなものだから。
その代わり、一部の挙動が知りたいだけでも、頭から終わり読まないとサッパリ解らない。
長期プロジェクトだと逆に……という感じ。
子供のころ、多分幼稚園に通っていた4〜5歳くらいのころ、妙な妄想をすることがあった。
僕はまわりの人の話が分かる。まわりの人に話をしてそれが通じている。本を読んで内容が分かる。
しかし、僕が日本語と思って使っている言葉は、実は僕しか使えない変な言語なのだ。
まわりの人とコミュニケーションができるのは、僕の耳や口や目に翻訳機がついていて、
その翻訳機が、まわりの人が使っている「正しい」言葉と僕だけが使っている「変な」言葉とを
僕が知らないうちに翻訳しているからなのだ。
無論、「言語」とか「コミュニケーション」とか「翻訳機」とかいう言葉は知らなかったのだが、大体こういう内容の妄想だった。今までいろんな人にこの妄想の話をしてきたが、未だかつて一人も同じ妄想を経験したことのある人はいなかった。おそらくよほど変な子供だったのだろう。子供の頃はずいぶんと孤独感を感じることが多かったのだが、その原因の一つは、このような妄想が出てくる思考にあったのかも知れない。
しかし、大人になっておもうのだが、この妄想は意外と世の中を正しく捉えていたような気もする。人と話していて、いろいろな言葉の僕の意味づけの仕方というのが、まわりの人とはずいぶんとずれてるなあと思うことが多いのだ。(ちょっと今具体例が思いつかないのでもどかしいのだが。)「翻訳機」が無いことが分かっている分、人との会話では言葉の定義に相当注意する癖がついた。これ、まともな人と話すときにはウザがられるんだろうな。
ひょっとして、他の人はみんな「翻訳機」を持っていて、僕は「翻訳機」を持っていないとかいうことはないだろうな。新しい妄想である。
90%以上完成しているなら、あとは、県が引き受けて、県の予算ですすめればいんじゃね?どうしても必要ならということじゃね?
ヒモ付きでない予算を交付するらしいし。
なんか、いまさら、各地に100以上のダムが建設中ってのが、根本的におかしかったという事だと。
ダムにしろ道路にしろ、雇用の確保という大義名分の元ちょっとやりすぎたんだと思うよ。
あらたなる雇用確保の産業を興すことなく、土建業で回したツケの精算って事じゃない。
別な話だけど、小沢ダムの人たちが、小沢ダムは大丈夫でしょ小沢ダムだからって言っていたのをWBSでみたけど、あれは、どうかと思った。
小沢ダムなんだからこそ、小沢先生には自発的に中止を推進するとかして欲しい物。
よほどのことでない限り、一律一旦中止というのはアリだとは思うよ。
なんか、消費税据え置きで、所得に対する、要するにサラリーマンに対するみなし増税が続くね。
基礎控除が定額になったり
扶養控除がなくなったり、
結局、大多数の人にとっては増税で
金利で食べていける大金持ちと、海外からの移民系の人たちが得する政策が続くねぇ。
わかっていたことだけど。
扶養控除:来春廃止も検討 子ども手当財源に
峰崎直樹副財務相(税制改正担当)は10日、民主党のマニフェスト(政権公約)に掲げた扶養控除と配偶者控除の廃止について、「両控除は分けて考える必要がある。扶養控除の廃止は子ども手当の財源として理解を得やすいのではないか」と述べ、来年4月からの子ども手当の半額実施と同時に、所得税の扶養控除の廃止を検討する考えを示した。東京都内で記者団に語った。
民主党はマニフェストで中学生以下の子ども1人あたり、年間31.2万円の子ども手当の導入を公約。その見合いとして所得税の扶養控除と配偶者控除を廃止するとしてきた。ただ配偶者控除の廃止は「主婦層を狙い撃ちにするものだ」との批判も強く、8日に開かれた第1回の政府税調後に藤井裕久財務相が、「所得税の控除全体を見直す中で、慎重に議論する必要がある」として、廃止時期を11年度以降に先送りする考えを示していた。
副財務相の発言は両控除の廃止時期を分けることで、扶養控除を先行廃止できるとの考えを示したもの。扶養控除は子どもなど所得のない扶養家族1人につき年間38万円を所得税の課税対象額から差し引く制度。【斉藤望】
扶養控除と配偶者控除を見直して財源捻出するのはマニフェストに書いてあった事ではあるけれども、それでもやっぱり話が違うと憤る人達はいるんだろうな。
自分自身がエンジニアで共通化を推し進めるべきだとずっとやってきたけど、
その結論として、共通化しない方が良い場合も多いという反省が残ったって事だから。
書いたのはわかりやすい例であって、実際はもっと、なんか、根深い年月に培われたアナログ的な感覚なんだよね。
なんか、一過言ありそうな、増田さんだし、その心意気は買うんだけどね。
一人でコード書くわけでも、ずっと同じ人が担当なわけもなく。水物だからねぇ。
究極、仕様その物が途中で変わったりするからねぇ
引き継ぎとかも考えると、コピペコードの方が引き継ぎが楽な場合も多いんだわ。これが。
コピペの方が良い場合は最初からコピペ。共通化したほうが良い場合は共通化。
逆に、あとから、この2つ同じジャン 共通化していこうか、ぐらいの勢いでも間に合うこともあるし。水物。
言いたいことはわかるんだけど、長期的なプロジェクト運営での色んな事を考えると結構共通化してない方がベターだった。って事も多いんだよ。
その辺をわかった上で、最低限の共通化は止めない進めるべきだと思う。でも、共通化を目的にガンガン部品を作っていくとはあまりオススメしない。様子を見た方が良いと思う。
そういう背景から、難易度が高くなくて、重要度も高くないコードについては、程度にもよるけどコピペ前提で、勉強も含め各個人に作らせた方が勉強にもなるしい、各個人にも楽しんで自由に書いてもらえる領域も必要だし、いいかなぁと。
共通化を極めたいって気持ちをぐっと堪えて、あえて共通化を少なめに抑えておく感じかなぁ。
あるあ....ねーよ
ニヤニヤ。どうせロクなこと書いてねえんだろなとトラバ元を見たらあんのじょうwwww
多分http://anond.hatelabo.jp/20091010232609
システムテストに関してはhttp://anond.hatelabo.jp/20091010210506
で書いている通り
その修正が呼び出してる20機能に必要な修正なら、20機能全部でデグレード試験し直しは必要。
で、修正が必要な1機能しかデグレード試験しなくてよいと思っています。
私が言いたいのは
どのような共通化を行うか(共通関数をつくるか)内部設計書に宣言させて(して)、
責任者(そのプロジェクトではどのような設計が、適切に共通化した設計か判断できる人間)とレビューして、
そのプロジェクトではどのような共通化が適切であるか合意をとるべきだということです。
合意とった内部設計書とおりに実装していなければ(勝手に新たな共通化関数つくっていれば)、
そもそも内部設計書に誤りがあれば、
珍しく、先週今週ともに、「土日のどちらかを家から一歩も出ず過ごす」という日があった理由を考えた。
これはAmazon.co.jp: ホリエモン×ひろゆき 語りつくした本音の12時間 「なんかヘンだよね・・・」: 堀江 貴文, 西村 博之: 本にあった、「お金は信頼と同義」という考え方を読んで思ったことなのだが、
まず最近、「信用を売りたい相手がいない」、ということ。そして、「得たい物がない」、ということ。
この二つが大きいのではないか、と。
もちろん、自分の周りにはリスペクトできる人がいて、信用を売り、そしてたくさんのモノを今でももらっている。
そういう意味においては、彼らの意見には賛同できるし、至極その通りだと思った。
ホリエモンもひろゆきも、彼らよりいろんな意味でレベルが高い人が、身近にいるんだと思う。
しかし、何かに秀でた人に新しく出会える環境、というのは、当たり前のことではない。
また、リスペクトできない相手に信用を売ったところで、全くレスポンスがなかったり、逆にいろいろ押しつけられ、こっちが苦労してばかりになる、ということが多々ある。
今後の自分の課題として、そういう信頼を得るに足る人間に新しく会える環境を整備するのか、あるいは手当たり次第出会いを求め、信頼を得るに足る人間を選ぶのか。
はたまた既知の人の秀でたところを探すのか。
どういう方向に進もうか、と考えあぐねるうちに、夜が更けた。
自分の分相応な相手を見つけつつ、ノブレス・オブ・リージュを遂行する。
まずは自分を見つめ直す作業からした方が良さそうだ。