一人暮らし・二人暮らし・五人暮らしを体験した者です。
自分自身は特に意識して節約する程じゃないですが、無駄遣いはしないようにする、という程度です。
二人暮しは正直なところ、ライフスタイルが合わないと、
金銭的にも精神衛生的にもあんまりうまくいかないと思いますね。
同じ時間帯で働いてるのと、すれ違い的な時間帯で働いているのでは、光熱費に大きく差が出ますし、
明らかにどちらか一方がたくさん使うようであれば、そうでない方には当然気に障るでしょう?
まぁ生活リズムがある程度合っていて、尚且つ双方が同じレベルの意識で節約したならば、結構効果はあります。
全てにおいて、基本料金分が浮きますし、電気代は一人の時とあまり変わりません。
家賃も1Kを一人で借りるのと、1DKを二人で借りるのだったら、一人あたりの金額は結構変わります。
(これは一人一部屋の割り当てではなくて、二人で一部屋+ダイニングを前提として。)
一応自分の地域(ギリギリ都心通勤圏)でごく普通の条件で考えると、
1K一部屋・・・約60000円
1DK一部屋・・・約75000円 ÷2 = 32500円
くらい。一人当たりにしたら、約27500円位の差が見込めます。
食費は二人分で普通に(肉もそれなりに使って、量もしっかり)作って
月30000円あれば余裕あると思います。
多分、本気で節約する気でいけば、20000円位でも全然いけると思いますよ。
>同棲して二人暮らししている知人の話
というのは、あなたと同レベルの節約意識なのかどうか、というのが重要ではないですか?
あなたが凄く節約を意識している人で、その知人が私程度の感覚であれば、
そこに金額差が生じるのは当然ですから・・・。
三人以上でルームシェアをした場合、特に効果が期待できるのは家賃です。
他はまぁそれなりに安くなるかな・・・という感じです。
自分の時は5人で2DKに住んでいて、
家賃が85000、光熱費(みんなあまり節約家ではありませんでした)が約25000
くらいでしたね。
ただ、人数が増えるとルールをしっかり作らないとトラブルの元です。
うちは皆細かい事を気にしない人ばかりだったので、割とゆるめでしたけど。
ただ、誰かが出て行く時のリスクは高いです。
ちなみに、結婚はともかく同棲の場合、「もし別れた時どうすんの?」を考えると結構寒気がしますよwww
残る方は家賃倍になるし、出てく方は冷蔵庫とか洗濯機とか新たに用意すんの?と思うので・・・。
なんだかまとまらないな・・・。
薄っぺらいと言われても、今の学歴社会をどう評価しているのか?が分からんとあなたの主張もピンと来ませんが…
1. 現状のシステムで問題なし
2. 現状のシステムは問題だが、学問の内容をいじっても改善できない
どっち?
家賃やっすwwwwwwwやっすwwwwwwww
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/business/n_company__20090410_9/story/10gendainet02040811/
これを読んで思ったこと。いろんなところで言われていることだと思うけど。
自分は旧帝大に入って、途中まで学問の世界を志すも、なんかちがうなーと思い始め、
実社会を生きるための知恵をいろいろ身につけて、そんでよい就職ができて、いまもお仕事を楽しくやってる人間です。
今の学歴社会って、学問の場で競争を煽って、優秀さの序列を作り、輪切りにして、上から人を採っていくシステムだけど。
もうこの、学問で競争を煽って序列づけられた優秀さってのが、救いようがないぐらい実際に社会で求められていることと乖離していると思うんだよ。
英数国理社ができるなら、記憶力も確かかもしれない。昔なら、知っているかどうか?覚えているかどうか?で仕事が出来る出来ないということもあったと思うけど、検索エンジンのある世の中じゃなんの価値もないし。それより、問題解決能力、他の人間の考えていることを察する力、サプライチェーンを組み立てる能力、なんかがよっぽど重要。
この乖離の不毛さは正直、日本という国を滅ぼしかねないレベル。実際、団塊ジュニアは、過酷な受験戦争に晒されたあげくに、就職氷河期、子供を作る余裕も無く、この国は少子化の道をたどってるし。
んで、日本の国力増強のために、提案したいのが、ビジネスマンが勉強するような、GTD、リーダーシップ、戦略的思考、行動心理学、サプライチェーンマネジメントとかを高校、大学で教えること。国民総なんちゃってMBA化するのがよい。
「今週もすてきな土曜日だった。日曜日は明日学校って気分になるから嫌いだ特に夕方。」
「いつか嫌な時が来るかと思うとどんなに休日をとっても休まった気がしない。」
ところで、そんなにお金が必要な理由ってなんでしょう?
最初の部分を読んで興味を引かれて元を読んでみたが、文体はともかくメンタリティはある種の女性に特有のものが書いてあって、リアリティを感じた。役割に没入して、どっちが目的だか分からなくなってしまう人のメンタリティというか、フリーの人格より予め規定された役割でもって自分の時間を埋め尽くしたい感覚というか。でも(性別ダウトがかかったという)先入観でそう読めるだけなのかな。創作ならうまいと思う。ところで4時間睡眠は本当なら止めた方がいいよ。
あーもうホントに性別なんてなくなっちまえばいいのに。
っつーかなんで自分は女なんだ?
世間の男女論にうんざりしてるのも確かだが、
それ以前に自分が女である事が疑問でならない。
いやでも男になりたいわけじゃなくて、本気で無性別になりたい。
まぁ皆が皆こんなヤツばかりだったら人類は滅びてしまうので
自分はいろんな事を諦めるというか、ぬるい気持ちでやり過ごして、
ある程度現状に満足するしか無いんだろう。
でも自分の様なヤツは排除されなければいけない、というのもなんか変な気がするので、
いろんな人がもっと許容される世の中になったらいいなーと願うばかり。
本当に実写にして良かったなぁと思える作品はあまり多くない気がする。
昨今は何でも映画にしてしまったりするので駄作の領域から決して離れる事ができない。
いつになっても視聴者から称賛されるのだ。
そんなドラゴンボールに続くように、「ひぐらしのなく頃に 誓」が作られたらしい。
自分は原作を知り合いから教えてもらい読んだのだが、くだらないネタはともかくとして、なかなか面白かった。
・・・最初の4話くらいまでだが。
後から付け足したような話になってしまった時点で、「あぁ終わったな」と思えた。
本当に作品が終了した後に実写になると話を聞き、原作にどこまで近づけるかが問題だろうなと考えていたが・・・
公開後のネットの批評は極めて厳しく、ほとんどが口を揃えて「つまらない」だった。
実際に見てみたが、やっぱりつまらない。
どれもこれも一癖も二癖もある登場人物たちなのだ。
それらをどうにか補整するには、原作の舞台、物語を上手く表現するしかない。
が、それも出来ず駄作で終わる。
そんな作品であったのにも関わらず、「ひぐらしのなく頃に 誓」を作ったという。
これがどうなるかは分からない。
しかし、今までの流れを覆す事ができるような作品とは、到底思えない。
原作に人気があったとしても、実写ではそれを超える事はできないのだ。
籍だけ入れて共稼ぎで行けば、経済的にはむしろかなり助かると思うのだけれども
実際のところ、結婚(に限らず同棲でもルームシェアでも)でどの程度「経済的に助かる」ものなんだろう。
自分は百万都市に住んでて家賃30000円台前半、食費は月に15000円、水道光熱費合わせて数千円で暮らしてるんだけど、
誰かと一緒に住むとなっても、一人あたりの経費はそこまで削減できないんじゃないかという気がする。
二人で住むのに家賃60000円はちょっときついし、食費も二人分作るからってそんなに削れるとは思えない。
むしろ、一人暮らしの出費は自分ひとりだけの問題だから、その気になれば相当節約できるけど、誰かと一緒に暮らす場合は
好き勝手に出費を削るわけにはいかないんじゃないだろうか。
元増田です。
私を男性と判断するブコメがいくつかついていて不思議に思った。
そう思ったのが女性の方だとするなら、その方が持っている「女性らしい」要素を私はなくしてしまったのかもしれない。
男性の方だとするなら、その方はもしかすると「女性らしさ」にほんの少しだけ何かの期待をしすぎているのかもしれない。
ホステスや風俗嬢といった女性の多い職場で過ごしていると、男性たちの思う「女らしさ」は幻想ではないかと思えるときがあるのだ。
おそらくは、私たちが思う「男らしさ」が幻想に過ぎないのと同じように。
私の日常は、文章にまとめてしまうと途端にリアリティを失うような日常らしいというのも何だか不思議な感覚だ。
朝起きて会社に行き、一日の仕事を終えたら夜用に化粧を直して次の勤め先へ向かう。
ホステスの時は店へ、風俗嬢の時は事務所と待機場所を兼ねたアパートの部屋へ。
平日、ホステスのシフトと風俗嬢のシフトは日数を3:2ぐらいに調整する。
毎日四時間は睡眠を取るようにする。週に一日は「会社だけに行く日」を作って、残業はそこで片付ける。
日曜日は半日ぐらい眠ってから風俗嬢。二ヶ月に一度くらい来る生理の時には、風俗嬢についてはきっちりと休みをもらう。
ホステスも風俗嬢もシフトの自由がわりときく(特に風俗嬢の緩さには勤め始めた当初驚いた)おかげで成り立つ日常。
私にとってはこれが日常で、その繰り返しに慣れてしまった。
リアリティがないと言われて、世間一般で言う日常と私の日常とのズレは、自分で認識していたより大きいのかもしれないと思った。
けれどこの日常を繰り返し、維持していくことが今の私の望みなのだと思う。
働き続けるという行為そのものに依存している自覚はある。
私の風俗嬢歴はまだ浅いが、就職して一年足らずで兼業し始めたホステス歴は長い。
この数年の間に、何回かホステスを辞め、正社員の仕事のみで過ごした時期があった。
耐えられなかった。
辞めなければと思って辞めたはずなのに、いざ辞めてみると、会社から帰宅してそのままただ働かずにいるということに耐えられなかった。
「働かなければ」という意識に追われて、ホステスとしての新たな勤め先を探した。働く店が決まるとホッとした。
辞めて勤めてを何回か繰り返した後、ホステスである「私」を辞めようとすることを、やめた。
私は基本的にモノのように、一つの商品として大事にされたい。
望まれるように振る舞い、それぞれの場で「私」に対して要求される役割に応え、記号のような存在として扱われたい。
ホステスも風俗嬢も、わかりやすく私を「商品」として扱ってくれる場なのだ。だから辞められない。
そんな私に「主体性」というものがあるならば、頑なに境界線をひいて自分がどこで何を提供するかを自分で決めようとする、その部分のみなのかもしれない。
だからこそ、そこにこだわらずにはいられない。本当は意味のないこだわりなのかもしれないが。
いただいたブコメやトラバを読んでいて、何故かとてもしっくりときた評価は「キモい」だった。
匿名の場で自分の心情を書くという行為は自慰行為にも似た部分があるのかもしれない。
それを承知で書き連ねる姿は、特に同性から見れば「キモい」ということになるのだろう。
いっしょに手をつないで歩きたい
雨が降った日はどこも行くとこないなーってぼやきながらドライブしたい
朝はいっしょにお弁当作りたい
昼は暑いと文句を言われたい
夜はライトアップされた名所旧跡を見に行きたい
スーパーに行っていっしょにカゴを押して晩ご飯を考えたい
雑貨屋に行って部屋に飾るしょーもない物を買いたい
週末の夜の独り身は淋しいよ・・・