そりゃ「男は大変だ」がまったく大変そうでないか、もしくは「男は大変だ。女はいいよな」とセットで書いてるから不愉快に思えるんだろう
頂上の高さが分かって、地図が正確になって、それで征服感というか達成感が増大して、ロマンも感じられるようになってって。だいたい19世紀の後半から20世紀前半にかけてくらい。
それまでって、登山というより、散歩に近い感じもするよ。散歩というか、気分転換の山登りみたいな。別荘があるからとか、そんな感じで。
メディアが大きく小泉叩いたのは、末期のホワイトハウスでの歌への失笑くらいだけどな、記憶に残ってるのは。
あれも好意的に報道してるところさえあった。
なんで悩んでいる時間を=料金に反映させるんだ?
そもそも、レイアウトや仕様も元増田が作るんだろ?手間かからないじゃん。
これはどう考えても「断る為の料金提示」とかしか思えないんだが。
俗情に媚びているのもあるけど、麻生だたきはメディアの間で民主党政権に転換させることが目標になってるからだよ。政権交代を実現させるために自民党政権をたたいているわけ。だから、仮に政権交代できないとして(できるだろうけど)ずっと自民党政権が続けば、今の調子の報道を永遠に続ける。政権交代ができるまで。
小泉さんのころにそういう合意ができたってのをどっかで読んだことがあるよ。で、郵政解散でメディアとしてはずいぶん小泉を叩いたつもりだったのに自民党が勝っちゃったから、これではいけないともっと叩き出したってわけ。
まぁ、こういうことだ。あまり気にせずに付き合え。
べつに麻生擁護しようってんじゃないw
バブル崩壊後の日本では、定期的に買い替え需要が発生するように、わざと壊れやすい部品を組み込むとか、強度を弱くしておいて使っている内に壊れて買い替えを促進するといった、せこい製品作りが主流になっていた。
耐久性の高い製品を作ってしまうと、買い替え需要が期待できなくなり、売り上げが維持できないからという事で始まったのだが、それは、消費者を裏切る事でしかない。
頑丈で便利な製品を作るのは創業者の仕事であり、製品が行き渡ったら、新しい分野へと転進しなければならない。雇われ経営者や、賃金や待遇だけが目当ての従業員ばかりになると、転進ができなくなり、事業を継続する為に、定期的に壊れて買い替え需要が発生する製品作りという、間違った方向に進んでしまう。
では、起業しやすい環境を作れば、買い替え需要狙いの壊れやすい製品作りが止まるかというと、そうとも言えない。というのも、そのような環境では、起業する為に企業に勤めるようになり、自分が独立した後にシェアを取れるように、わざと、製品に欠点を残すようになる。その欠点を潰す事ができるのは、商売に熱心な経営者が株式の過半数を握っているような場合に限られる。そういった経営者でも欠点を潰せるような、酒造や加工食品製造業のような産業でなければ、生き残れないという事になってしまうのである。そして、創業しても、人を雇わなければならなくなる以上、有能な人は将来独立する為に、わざと欠点を残すだろうし、将来の独立を考えないような無能な人ならば、欠点があっても気が付かないか、報告しない。規模が大きくなれない製造業者ばかりとなると、外国からの輸入品に太刀打ちできなくなり、結果的に、軍需産業や、特許や資本規模といった別の要件でしか生き残れなくなる。
かといって、起業しにくい環境を作ると、企業は新陳代謝の圧力を受けないので、買い替え需要を狙うような商売を始めてしまう。事業法人はリスクに挑む為の存在であるが、法規制や判例が障害になり、新しい事業分野へとチャレンジできない状態にあると、リスクに挑まなくなる。事業法人の資本の大きさが市場を独占し、壊れやすい製品作りという、不健全な事業へと突き進んでしまうのである。
世界を相手に商品を輸出するという状態でなければ、良い製品作りにインセンティブは発生しない。市場が無限であるからこそ、頑丈で信頼性の高い製品を作るようになるのである。
その為には、Made In Japanを世界中に売るという目的をもち、その窓口である商社を動かすというやり方に戻す必要があり、前提条件として、世界中に日本からの輸出を受け入れさせなければならない。
アメリカの覇権の下でそれをやる方法は、グローバリゼーションによって終わった。それを再び実現するには、インターネットのような国境の無い情報の流通媒体を利用して、日本の情報を世界中に広め、日本製品を輸入する事を受け入れさせなければならないのである。日本国内での自社製品の知名度を上げる為にしか宣伝費を使えないのであれば、株式公開企業である必要は無い。
メディアとネットが仲が悪いという根拠がないと思う。ネットのニュースでも情報源は従来メディア中心だし、テレビや新聞も自社サイト持ってるのが当たり前。+民やはてなーのようなノイジーマイノリティがますごみと騒いでるから仲が悪いように勘違いしてしまうだけでは?
「こいつはなくなっても誰も困らない」
ってそれはないだろう。いくらなんでも。
自動車を指さして
「歩けばいいからこいつはいらない」
とか、旅行者に対して
「旅行なんてしてもしなくてもいいからしなくてもいい」
って言ってるのとロジックが一緒。
それがゲームだろうとマンガだろうと旅行だろうと別にいいじゃん。
不健康かどうかは別にして。
何でそれが争点になるのかわからん。多数決なんだから確実に老人が勝つに決まってるだろ。
それを争点にしたら正統性をさらに与えることになる。
叩いてるのは政策の内容や一貫性や指導力が支持できないからだろ。
「そういう人はみんなfinalventみたいな人だ」ってことね。
昔、10歳ぐらいまでか、自分は天才だと思っていた。結果として勘違いもいいところだったのだが、当時は僕のアイデンティティーであった。ろくに勉強しなくてもテストで点が取れるし、誰よりも手先が器用だった。やろうと思えばなんでも出来た。他人より自分が優れていることが嬉しくて、他人がやっていることを真似して、それを本人の前で超えてやろうと息巻いたりしていた。覚えている限り、僕はそれを容易に達成していた気がする。よく言えば向上心豊かな子だったのだが、その原動力は薄汚れていて俗悪だった。
僕は周囲に馴染めなかった。その理由を自分の家庭環境に求めた。確かに僕の家庭環境は異常であり、なにやらわからぬ妙な宗教団体に入り浸っていたり、両親はほとんど家におらず孤独にすごしていたりした。母は病気で入院していて、親父は仕事に忙殺されていた。親父と祖父は宗教の問題で揉めていた。僕は対象年齢が高いテレビゲームばかりしていた。ゲームがなによりの友人だった。
偉人の本が好きだった。アインシュタインやノーベルが好きだった。
彼らは世間で言う気狂いであり、「普通」とはかけ離れたが故に天才だった。
学校で周囲から聞かされる、普通の家庭像にそれなりに憧れた。それと同時に、自分の狂気に陶酔した。「普通の人生」の欠損が僕を捩じ曲げ、それが狂気を生み、その狂気故に自分の才能を裏付けているのだと思った。おまえたちと僕は根本的に違う。だから僕の有能さはこれからも揺るがない事実だ、と。
この愚かな少年は、幼少時は母親にひたすら甘やかされて育ち、一人っ子であり、世間との距離の取り方はわからなかった。狂人だから理解出来ないでいて当然だとも思っていた。
時間は残酷で、歳を経るごとに世界は広がり、優秀なつもりの自分が崩されていく。
全てがそれなりに狂っていて、その全てが許容範囲の中にあり、誰かと同じように狂っていた。
そして、どこまでも平凡だった。
狂気が才能を担保するのではない。狂気に耐え続けた人が、結果としてある種の才能を有することはある。が、僕はどこまでも凡俗だった。憧れたのは、才能ではなく形だけの狂気だった。