バブル崩壊後の日本では、定期的に買い替え需要が発生するように、わざと壊れやすい部品を組み込むとか、強度を弱くしておいて使っている内に壊れて買い替えを促進するといった、せこい製品作りが主流になっていた。
耐久性の高い製品を作ってしまうと、買い替え需要が期待できなくなり、売り上げが維持できないからという事で始まったのだが、それは、消費者を裏切る事でしかない。
頑丈で便利な製品を作るのは創業者の仕事であり、製品が行き渡ったら、新しい分野へと転進しなければならない。雇われ経営者や、賃金や待遇だけが目当ての従業員ばかりになると、転進ができなくなり、事業を継続する為に、定期的に壊れて買い替え需要が発生する製品作りという、間違った方向に進んでしまう。
では、起業しやすい環境を作れば、買い替え需要狙いの壊れやすい製品作りが止まるかというと、そうとも言えない。というのも、そのような環境では、起業する為に企業に勤めるようになり、自分が独立した後にシェアを取れるように、わざと、製品に欠点を残すようになる。その欠点を潰す事ができるのは、商売に熱心な経営者が株式の過半数を握っているような場合に限られる。そういった経営者でも欠点を潰せるような、酒造や加工食品製造業のような産業でなければ、生き残れないという事になってしまうのである。そして、創業しても、人を雇わなければならなくなる以上、有能な人は将来独立する為に、わざと欠点を残すだろうし、将来の独立を考えないような無能な人ならば、欠点があっても気が付かないか、報告しない。規模が大きくなれない製造業者ばかりとなると、外国からの輸入品に太刀打ちできなくなり、結果的に、軍需産業や、特許や資本規模といった別の要件でしか生き残れなくなる。
かといって、起業しにくい環境を作ると、企業は新陳代謝の圧力を受けないので、買い替え需要を狙うような商売を始めてしまう。事業法人はリスクに挑む為の存在であるが、法規制や判例が障害になり、新しい事業分野へとチャレンジできない状態にあると、リスクに挑まなくなる。事業法人の資本の大きさが市場を独占し、壊れやすい製品作りという、不健全な事業へと突き進んでしまうのである。
世界を相手に商品を輸出するという状態でなければ、良い製品作りにインセンティブは発生しない。市場が無限であるからこそ、頑丈で信頼性の高い製品を作るようになるのである。
その為には、Made In Japanを世界中に売るという目的をもち、その窓口である商社を動かすというやり方に戻す必要があり、前提条件として、世界中に日本からの輸出を受け入れさせなければならない。
アメリカの覇権の下でそれをやる方法は、グローバリゼーションによって終わった。それを再び実現するには、インターネットのような国境の無い情報の流通媒体を利用して、日本の情報を世界中に広め、日本製品を輸入する事を受け入れさせなければならないのである。日本国内での自社製品の知名度を上げる為にしか宣伝費を使えないのであれば、株式公開企業である必要は無い。
意図的に耐久性を下げるという行為がどの程度行われてたのか疑問。 コストを下げるために安い中国製部品などを使えば、当然耐久性は落ちる。 コストダウンのほうが主な目的だ、とい...