「あなたに来てもらいたい気持ちは山々なんだけど、その時間帯満員かつ仕事が現状少ない感じでー。仕事が増えたり人が減ったりしたらまた連絡します、それまでに別のお仕事決まってたらそれはそれでいいんで!」とのことでしたorz 面接から今日までの数日間のロスを返してくれっ。
つーか面接の結果が出るまでの間に別のバイト受けたりとかって、しても大丈夫なもんなんだろか? 結果を素直に待ってる私が馬鹿?
へこまず次いってみようorz
二年付き合ってたら、安心するかもなあ。
相手を信頼してたから、もし子供ができても結婚できると思ってたのでは。
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
元ネタは「川を渡る女」だと言われている
http://anond.hatelabo.jp/20070606124302
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090119/1232368427
しかし「川を渡る女」の原典は「若い女性と水夫」だという説も存在する。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7734/mylife/050329.html
僕が真っ先に思い出したのは「若い女性と水夫」の方だ。7-8年くらい前、研修のグループディスカッションで学んだ記憶があって、部屋を漁ったら研修資料を発見した。それによると「若い女性と水夫」は 出典:行動科学実践研究会刊 Creative O.D Vol.219 1977版 だそうである。32年も前からあるんですね、こういう手法。
重要なのは「若い女性と水夫」から「ある無人島漂流の物語」への間に起こった変化――女性の立場が「フィアンセ」から「妻」に変更されている――だ。実は、この変更の理由について、研修に関る仕事をしている友人に聞いたことがある。「若い女性と水夫」の題だと、次のような論理展開をされた場合反論が非常に難しくなり議論の結論が出てしまうのだそうだ。
1.この5人が現在最も重視すべきなのは「生きること」である。(一番大切なのは人命である)
2.大事故に巻き込まれている上に、少なくとも直ぐに助けが来る状態ではない。
3.上記の状態から類推するに、とりあえず今は生き延びて助けを待つことに全力を尽くすのが当然だろう常識的に考えて。
4.そうなれば、皆で3.の目標に対して協力するべく、全てのリソースを結集するのが当然だろう。
5.そんな中で、フィアンセがいないからボートを修理しろとか言ってる女って何?(この人間関係トラブルの発生源はお前!)
というわけで、皆余裕が無く追い詰められた状態の時に(いくらフィアンセが行方不明とはいえ)身勝手な事を言い出した女にそもそもの原因があるんじゃね?ということで結論が出てしまう。それにしたって水夫が体を求めるのはいくらなんでもやり過ぎだ、等々他の人間の責任を問う反論があったら、それを言い出したら全員極限状態だろうだから誰が悪いとか言う問題じゃなくなるだろ、で終わってしまうそうだ。
このディスカッションは基本的に4-5名のグループをいくつか作って、そのグループ毎に「登場人物の中で誰が一番悪いか?許せない順番をつけるとしたら?」ということをまとめさせ発表させるらしい。で、それぞれの班で色々と違う答えが出たところで講師が
○この設問に「これが正しい」という答えはない
○こんなに単純な問いなのにグループ毎にこれだけの差が出る
○だからコミュニケーション能力とか、報連相とか、職場の風通しの良さとか大事ですよ
○闊達に議論ができて意見をとりまとめることができるってのは重要なことですよね♪
ってなことを説教する流れなんだ。
しかし、上記1-5のような考えをする人が一定数以上存在し、それぞれの班の意見が似通っていたらこんな説教はできない。「一番大切なのは命だ」から考え始める人は実際結構いて、そうなるとほとんど4.までは変わらない議論になるそうだ。だからこの論理展開を崩すため、3.の部分について反論が可能なようにしたらしい。「夫が行方不明になったら、妻は周囲が見えなくなり、皆で協力する云々というところまで考えが及ばなくなるかもしれないじゃないか。そういう人に対してどう対処するかが重要で……」と。要は行方不明の男とその女の関係性を太くして、女性の行動の動機を強化し皆に受け入れやすくしたわけ。
長々と書いたけどさ。この話って、要するに一定の結論が出ないように計算し尽くして書かれてるんだよな。
そして、研修を受けた人の年齢や社会的立場、経験や性格、思想信条といったモノを意見という形で映し出してしまう魔法の鏡でもある。で、裏で研修担当の講師や人事部がチェックしていると……物事のメタ的な把握って重要だね(笑)ああ怖い怖い。
まあ、そうです。それって、性欲を我慢するためかな?と思うのですが。
増田のトラックバック見てもブコメ見ても同情的なコメントが多いなぁ。
もちろん中絶するしないは大事な問題だし、同情的なコメントになるのも頷けるけどさぁ…。
>> 確かに事故で妊娠したんだけど、きっかけで結婚に至ると思ってた。 <<
気になるのはココ。
きっかけで結婚に至るとか訳わかんない。
避妊もせずにその場のノリでお互い流しちゃって事をしたんじゃないの?
26にもなって何をやってるんだ…。
とりあえず他の人が書いているように彼氏と話し合うしかないが、
今後一生付きまとうことだと思うよ。頑張っておくれ。
「お前って言わないでよ、いい加減。彼女でも何でもないんだから」
「はいはい、だけど、ほんと男と見分けつかねえよ、そんなんじゃ」
「うるさーい」
幼馴染の響子にカバンで頭をどつかれながら、高校への通学路の桜並木を歩く。春の日差しが温かい。俺達が今春から通う高校は、全国でも珍しいズボンとスカートを選択できる高校だ。俺は女子はやっぱりスカートだろと思ってるが。
響子は動きやすいからという理由でズボンを選んでいた。通学路には他にも何人かズボン姿の女子がいる。スカート姿の女子の中にズボンの女子がいるというのは、なんとなく違和感があるが、ショートカットで胸がアレな響子にはズボンは全くと言っていいほど違和感がない。
「待てよ、急いだらほら、お前ってば……」
慌てて走り出した響子は、お約束のように石も段差もバナナの皮も何もない道路で派手に転んだ。
「いったーい」
「大丈夫かよ」
飛んでいった響子のカバンを拾って、起き上がるために手を貸してやる。涙目になっている響子の顔が近づくと、さらさらの黒髪のショートカットからシャンプーの匂いが香った。どきんと心臓が跳ね上がった気がした。2、3秒あるいは2時間くらい響子が俺の目を見つめ、俺はその目に吸い込まれるように見つめ返した。
あれ? 響子って、こんなに……可愛かったっけ。
その瞬間、ただ単に違和感がなかっただけの響子のズボン姿が、魔法をかけたように変わっていった。
似合ってる……。
気品に溢れ、気高く、凛々しい美しさが漂っている。心臓がもう一度どきんと跳ね上がったような気がした。さっきよりも、強く。
自分が考えていたことが響子に伝わってしまいそうな気がして、あわてて響子を引き起こして、顔をそらした。
「ほら、もう遅刻するから行くぞ!」
「ありがと」
そういう響子の声を背中で聞きながら、意外とズボンも悪くないかもと俺はちょっとだけ思った。
ドライソケットってやつ?
さっき歯医者に薬貰いに行ったとき、「ドライソケットかも……」って言われた。
大丈夫じゃないよ……それだったら。
http://anond.hatelabo.jp/20090123124446
ご丁寧にレスしていただけるとは思いませんでした。
遊び心は大いに結構、でも、手段が目的にならないようにしてくれよ、といったところ。
と書いたのですが、そこをよく考えてみてください。
手段を手法、目的をテーマと置き換えてみると分かりやすいかもしれません。
私が書いたのは手法としての部分ですが、貴方が言われているのはそこにテーマとして扱うことが混在してしまっています。
テーマとして扱うことを否定などできませんし、それが話題となる、売りとなるというのはなんら問題ありません。
そして
へーこんな作品あるんだ
と思わせるのはテーマとしての部分。
ですが、実在のサイトを出して云々というのはテーマではなく、手法の話。
知っている人にとっては目に付く宣伝文句にはなりやすいでしょうが、そうでない人には意味不明でしかなく、宣伝文句にもなりません。
逆に言うと、その宣伝が通用する場所、対象である時点で「へーこんな作品あるんだ」の範疇から外れる人たちでもあり、キャンペーンの範囲を狭める行為になりかねません。
そして、この手法はそれを誘発させる事柄になりかねないし、実際のところ既にその気配があると言っていいでしょう。
引き合いに出されている「ハヤテのごとく」「絶望先生」(更に挙げるなら「ケロロ軍曹」など)はパロディそのものがテーマないしサブテーマとして作品の売りでもあり、それらが理解でき、楽しめる人である事が前提の人しかターゲットにしていません。
つまり、宣伝と作品の齟齬が小さい上に、元よりターゲットが「分かる人」でしかないですから、そういった宣伝のされかたであっても問題がないわけです。
ですが今回のようなものはただの手法の域を出ないもの。
ニコ動のような広く認知されており、また「動画サイト」として汎用的な単語の置き換え、イメージの置換ができるものと「個人サイト」というあまりにも漠然としたものを同列に考えてはいけません。
名前を聞いて「何それ?」となり、個人サイトと聞いても「何やってるところ?」となりかねないものにどれほどの意味があるのでしょうか。
知っている人だけ楽しんでね、はそれに徹している作品でなければ通用しないのです。
それこそ、上で説明したような貴方が例として挙げた「ハヤテのごとく」や「絶望先生」のように。
それも一つの手でしょうし、作者・出版社としても嬉しいことでしょうが、身も蓋もなく言ってしまえばそれは出版社の仕事です。
貴方が頭を悩ませ、気を揉むことではありません。
面白いよ! とポイントにする部分が全く違います。
少なくとも今回のような例においてはテレビに映った自分の姿を「映った映った! これ俺(の知り合い)、俺(の知り合い)!」と言っている人の域を出ていません。
そういったものを宣伝と呼ぶのならばそれもいいでしょう。
(ブクマコメにある「同人みたい」の一言はまさにそのとおりかもしれません)
さすがにそこまですると売れないってことはわかっていると思いますよ。
とされていますが、そのあたりの切り分けがされていないために、主張のポイントが時にはあちら、時にはこちらと移り変わり、支離滅裂になっています。
読者の立場からのポイント、作者と編集者の立場からのポイント。
一度しっかりと切り分けてからまとめてみましょう。
ですが、これでいけると思われ、万が一その手法が広まってしまった場合、一部の人間にしか通用しないネタを散発的に使い、その対象に話題にしてもらうという安易な宣伝効果を狙った作品が現れる可能性も否定はできないのです。
続けるのならば、その作品の特徴、特色といった域にまで高める必要があるでしょうね。
フランスは多くの移民を抱えているのに、ジニ係数が日本より10ポイント以上低い。
フランスの平均労働時間は日本の半分だが、平均年収は殆ど変わらない。
という事は日本の派遣労働者なんかより、フランスの移民の方がよっぽど豊かな生活を送っている事になるw
今や西ヨーロッパで日本より貧しい国は存在しない。日本は経済的に「中進国」の位置にまで後退した。
日本の派遣制度は世界の非常識。ヨーロッパで派遣として働けば労働時間は半分で収入は倍以上に増える。
http://anond.hatelabo.jp/20090123130429
おなかがすいたのでそろそろバナナをください
あるいは説明をしてください
僕はどこの誰とも知らない人にバナナを渡すより説明するほうが簡単だし僕も納得できるので説明を要求しましたが
あなたはバナナをくれるとおっしゃりました
なので僕はバナナで黙るといったのですが一向に持ってくる気配がありません
出来もしない説明を必要ないと偉ぶってみたり
自ら言ったことを反故する姿は
サルである僕でさえ出来ることなのですから
何か作業に打ち込んでいると、エネルギー残量が緑から赤ゾーンに減っていたりする。精神的にも疲れが出てくることもある。
僕の閾値は24時間ぶっ通しあたり。「精神的に疲れたな」と感じ始める。
でも困ったことがある。
「僕、頑張ってるな。よしよし。」なんて自分を褒めれば、「疲れたな」と感じたときも少しは楽になったり、疲れがネガティブ思考に変化しにくくなる気がするんだけど・・・・それは長期的にみたときのデメリットが無視できない気がする。
「頑張ってる」という認識で楽になることで、自分で限界を作ってしまうような・・・。自分の努力量を評価しすぎてる気がする。
どこか本気で「ここまで頑張れば、もう頑張らなくてもいい」と拡大解釈してしまいそう。それで、自分の居心地のいい所に腰を下ろしたままになってしまう。
「問題解決」でも、「お仕事」でも。一週間のプロジェクトでも、数十年間に及ぶ取り込みでも。こういう「自分の居心地のいいところ」を見つけてしまうのが怖くていつも気がつくと赤点滅状態になるまでがんばっちゃうんだけど、どうやらこれはこれでよろしくない戦略っぽい。チャージするためのエネルギーすらなくなってしまうことがある。
でも、自分で自分の上限を設定するマネも、自分の視野を自分で狭めるようなこともしたくないんだよなあ・・・
上手い打開案を模索中。 みなさんはどうですか?
最強の裏技はとりあえず体裁取り繕って出して,あとから修正。
一度出せば多少は待ってもらえる。出す意思を示すこと大事。あと早急に指導教員と先輩と後輩に頼れ。数時間あれば体裁を取り繕うことくらいはなんとかなる。
医師数の国際比較
日本の医師数(100ベッド当たり)は13.7人と、先進5カ国の中では最低です。そのため“3時間待ち3分診療”の実態が発生しているのです。医療スタッフの増員には診療報酬の改善が欠かせません。
こんなことが書いてあるのに、厚生労働省の有識者懇談会では新生児集中治療室(NICU)を増やすといっているんだよねえ。
リンク先でいっているように 100ベッドの医師数が余計に足りなくなるだけなんじゃね?
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/12/nicu-nicu-feda.html
結局「人間に優しい」なんだよねえ…