貧しい農村のメディアに汚染されてない純朴な美人が、都市部に売られてくるんだからすごいよ。
ちょっと整形した日には芸能人みたいになる子が多い。
数日で金持ちに専属として買われていくわけだが。
俺も最近、ビジネス書読みまくろうかと思ってる。読んでも無駄なら読んだほうがいいって考えになってきた。どうせ失うものはちょっとした時間くらいだし、おれ暇な時間にたいしたことやってるわけでもないし。
コミックマーケット75 コスプレギャラリー動画‐ニコニコ動画(ββ)
この動画観て俺の友達が怒ってた
写真撮った後で「ニコ動に載せてもいいですか」と訊いてきたので「流石にそれはちょっと…」と断ったのに、勝手に載せられてたと
それの日本人男バージョンなら中国で腐るほど見た。これこそマジ。カラオケ屋(向こうではキャバクラみたいなもの)のシャオジエにお熱上げてる奴めちゃくちゃいる。金によってきてるだけなのに。
「事情や病気で仕事が出来ない...」 「家庭の事情で収入がない...」
「でもどうしても働くことが、お金を稼ぐことが出来ない」という方に...
ここにそう書いてあったんだよ。
「事情や病気で仕事が出来ない...」元増田の親御さんはそうだろ?だから対象になるかもと思ったんだよ。
高等教育と憲法云々のところは生活保護に関する法律の運用上の解釈の問題だろ?現状そうかも知れないけど、それを「当たり前」と捉えるのはいささか視野が狭い(世の中の流れで価値観は大きく変わっていくという意味で)だろ。それともそのように可能性を探ること自体も問題なのか?
おとん、たいしたもんじゃない。商才がなくても人を頼らずに自立して生きてきたんでしょ?立派に子育てしたんでしょ。強く強く尊敬する。
完全に横だけど。
こういう短絡的な『一人の方が偉い』論って、一見それっぽく聞こえるけど、実際は人間社会の進歩そのものを否定してるよなあって思った。
ならば、付き合わなければいいじゃないの・・
つまりその個体の生命力が無いってことでしょ?
横だが増田の方がある種の決め付け論に走ってると思うぞ。余地を残さない決め付け論こそ想像力の欠如だと思うんだ。
増田の前の増田は一応すべて疑問形にとどめていて、それは「自分の考えの及ばない何かがある可能性」に対して開かれている。
これがもっとも正しい人間の想像力だと思う。だってすべての状況を詳細に把握できるやつなんかいないんだから。
状況の詳細把握度5の奴が詳細把握度4の奴を想像力がないと笑う。しかし人間が世界の詳細を把握するには把握度300が必要だとして、
50歩100歩なんだよ。
だったら把握度4の奴が「自分の把握度だとこの程度しか思いつかないが、他にも何かあるんだろうか?」と思ってる状況は、
把握度5の奴が「バカじゃね?世の中はこうなってるに決まってるじゃん」と開陳する世の中論よりも真実に近い。
>何で只の同僚にそこまでしなきゃならないんだ?
そりゃおまえの価値観だろ。そうやって生きてろ。否定しないから。
田舎に対する認識が私よりお前の方が正しい理由が何か示せるのか?示せないなら単に価値観が違うだけだ。
>生活保護が受けられる訳がないだろ
生活保護の理念の解釈の話をした。適用が可能かどうかは知識がない。そこまで調べて書く時間がなかったけど元増田に伝えたかったから書いた。
受けられるわけがない、それが常識だというのならそんな制度であることがおかしいんじゃないのか?
あと、一応だが、自分の意見が数多くある意見のたった一つである認識はもってる。感想を述べただけでなにも自分の意見が完璧だなんて思っていない。元増田は参考になる記事を参考にすれば良いだけだ。この記事が参考にならないなら元増田は気にしないでほしい。バカが一人わいたと思ってくれ。
あのさー。
すこーしだけ突っ込んでおくけど、どっちかっつーと正直「社会のために子孫を残す」とか考える人間の方が変だよ。
殖えすぎて環境悪化したから繁殖意欲が低下してんだよ。産まれた子どもにとって良い環境が整ってるかどうか、それこそ生物的に無意識に判断して子孫を減らそうとしてるわけで、そういう有機的な集団の内部システムのことを「社会」というワケだろ。みんながみんな「生物的本能」とやらで10人も20人も子どもうんだらあっという間に飢餓列島だろ。今の時代、子どもが減るの当たり前だと思わないのか?自分たちの周り見て。
色々騒ぐけど、結局
A現象
と
B現象
と、明らかに相関があると思わないか? それこそ「一匹の生物」として。
ちゃうちゃう、派遣村の母体は「越冬闘争」。良くも悪くもイデオロギーと人助けが結びついていた運動。
「越冬闘争」でググってみ。
オタクってのは本編だけに詳しい人を指す言葉じゃ無いと思うよ。
例えば綾波レイで話しを進めるならば、コミックエースだのトレーディングカードなどなんか見ると
プラグスーツ(って言うんだっけ?)と制服以外にも、デザイナーがデザインしたり既存ブランドから選択したオサレな服を着たりしてるだろ。そういうところから服飾業界を考察して実際に服屋に足を運んだりテレビでファッションショーやってたら見るなりして世間とコミュニケーションをとっていくことは可能だと思うのよ。
少し思うところを書いてみる。
>だっておとん、商才なかったんだよ。一人で仕事して50代で年200万とか。下手すると俺の初任給の方が良いくらい。ひどいもんだ。
おとん、たいしたもんじゃない。商才がなくても人を頼らずに自立して生きてきたんでしょ?立派に子育てしたんでしょ。強く強く尊敬する。そこは派遣村の人とは大きな隔たりがあるでしょ。ひとくくりになんて出来ないでしょ。絶対誇っていい部分でしょ。
ただね。派遣村の人とは違うからこそ、考え方を少し変えただけで打開できたかもとも思ったんだ。元増田は大卒であることが伺えるし、たくさん物事を考えているようにも思える。世の中のこともよく見てる。そんな元増田を育ててきた親御さんに敬意を払うからこそ、ほんの、ほんのちょっとだけ考え方を変える可能性を探れなかったのかなと思ったんだ。
以下に書くことは亡くなったお父様に鞭打つような言い分になってしまうかも知れないけど、元増田とお母様にはこの先の人生もあるので、自分の意見を書いてみる。結果論の部分も多々あるので受け入れられないときは切り捨ててくれ。
非常に汚い思考法かも知れないけど、まずお父様が自分の病気を押して働くしかなかったという状況を防ぐ手だてが何かなかったのだろうかと考えた。そこが一番の悲劇の部分だから。
一番つらかったのは、当然だが、お父様が事業を休めなかったことだ。代わりがいなかった。でも、健康は何事に代え難いがたいものだ。そこは親類に頼っても良い部分じゃないのだろうか。お金は働いて少しづつ返すといって金策に走ることは出来なかったのだろうか。
お母様も、収入を得ることで精一杯であったことが伺えるが、職場の人間というのは、同僚がそこまで差し迫った状況であることを知ったときに、果たして知る前と同じ様に仕事を要求するのだろうかと思ったんだ。旦那が病気だと言えば、お見舞いをするために少し働く時間に融通を利かしてくれたり、野菜や煮物を分けてくれたりと、そんなことがなかったのだろうかと。
そして、心理的なハードルが高いことはわかるが、生活保護という手段は想定としてあったのだろうか。
うまく言えないが、お父様とお母様は歯を食いしばってしゃにむに働いたのだと思う。じゃあ、そんな方を世の中の人間は見捨てるだろうか。評価しないのだろうか。そうなんだとしたら、私は絶望せずにはいられない。
今の時代、競争は肯定されていて、極論すれば、他人を蹴り飛ばしてでも自分だけ成功しようとする風潮が強い。リアル蜘蛛の糸だ。
そんな風潮の中、お父様やお母様の「がんばる」はどんながんばるだったのだろうか。「がんばる」が他人と蹴散らしてでもがんばる「敵を作るがんばる」だったのか、それとも競争じゃなくて協働というか、他人が困っていたら助けるなかでの「みんなとがんばる」だったのか。ここをどう考えるかが、人との交わりを大きく変えていく部分だと、個人的には強く思っている。
(ただこれは相応にレベルの高い話で、一生税金むしりとって生きていこうと考えている、自活する気持ちがない人間を前提としてはこの様な話は全く論じられない。)
前者は社会を敵と見なし孤立しやすくならないだろうか。後者は、自分が助けた人の中から、困ったときはお互い様だと自分を助けてくれる人が僅かながら出てこないだろうか。
・・・”茨城”は近郊農業の盛んな土地柄で、農家や土地持ちは家庭で野菜を作り、食べ物には困りにくい土地柄だと思った。だから、近所づきあいを重ねれば、元増田のような非常時には食べ物を用立てて助けてくれる地域住民もいるのではないだろうかと、少しだけそう思った。東京や過疎地だったら難しい部分だろう。
健康は何物にも代え難い。健康で有りさえすれば、一時床に伏せってしまうようなことがあっても、お父様のような方だったらやり直せると思った。だから健康よりも事業を取らざるを得ないという結論を、意地でも、何が何でも、何とか、変える方向を模索する必要があったのだと思う。
生活保護を常にアテにしてのらりくらりと暮らす奴とは天と地ほどの違いがある。生活保護は、その理念から言えば、お父様のような、一生懸命がんばっているが健康上の不運に見舞われたような方のためにある制度なんだと私はそう思う。
なんだか、まとまんねーな。まあいいや。ごめんな頭使って考えたけどこの程度のことしかかけなかった。ちなみに私の父親も自営業年収200万だ。いまのところ病気は大丈夫のようだ。
見た目がかわいそうなことになっていなくて、リアルが充実している人のこと。
または、見た目がかっこいい人のこと。
また、見た目がかわいそうな人のこと。
<補足>
ステータス>がんめん の すうちがひくいひと
ステータス>がんめん の すうちがたかいひと
産まなくていいから出てって欲しいね
うちの親は「インターネットには形が無い」「バーチャルな世界」などと言って「現実とは分けろ」とこき下ろしているけど、古い考えだと思う。
現実でお互いに顔を合わせた会話の重要さを否定したりは絶対にしない。口に出す言葉と表情、対して文字での文章によるコミュニケーションには埋め難い間隙があるし、ずっと仮想現実の中にいるというのは無理なので、現実のほうが構造としては上位なのは間違いない。けど、書き込んでいる人間は、botではなく現実を生きる血の通った人間であることは間違いないでしょう。確かにネットに書かれてる文章は、息を吐くように吐かれた嘘であることも多いし、書いた人間の顔も見えないけれども、最近はそういう常識さえ拭い払うように、現実とネットの関係も、二元論では語れない、より絡み合って親密になったのではと感じている。自分の界隈では、よくオフ会をやってるのを見るけど(自分は参加したくない、ネットでも面白くなければ現実でもつまらない人間だから)、そんなのネットと現実が断絶したものだったら成立しないでしょうに。
ネット専用の個性を持ってwebに暮らすように没入するネット中毒なのは大いに問題だけど、インターネットに書かれていることを自分の持つフィルタで取捨選択した上で、現実で見聞きしたの同じように真に受けて、何が悪いんだろうと思った。