そこで重要なのは割合だと思うんだ。みんな適当な直感仮説でいいから割合を書けばいいのにと思う。
「○○だと△△だ」と断言してしまいがちだけど、実際には割合が高いという程度のものでしかない。
「ブサイクはもてない」と言う場合も必ず「ブサイクは93%もてない」と言うべきなんだ。だって中にはブサイクなのに持ててる奴もいるんだもん。
そうすることで「一般論」の中に、より個別のケースに即した特殊例を織り込ませることができる。
市場がなければ投資家はお金が必要になって株式を換金したくなったり、投資先企業がおかしくなって資金を回収しようとしたとき、売る相手を自分で見つけなければならない。必要以上に安く売ったり、相手をだまして売りつけることになりかねない。
有望な会社に投資したいと思っても、投資するチャンスは限られるため、割高になりやすい。資金を集める側の会社は、株価が高いほうが資金を集めやすく、「売り手」が発行体企業だけなら価格はつりあがる。
そもそも市場がなければ適正な価格の判断も困難になる。資金力のあるところが値段を決めるようになる。
何十年も先に投資先企業がどうなってるかなんてわからないし、一旦投資したら資金回収は困難なので大半の企業は資金が集めにくくなる。
ただ橋下氏に強烈な反論を食らって明らかに高校生の人生が変わったと言える証拠が一つだけある。
涙を流したことだ。橋下氏に諭されて屈辱を感じた。人間は誰しも自分のことになると必死になる。
おそらく彼・彼女たちは橋下のカウンターパンチを食らってマッチョ気質を埋め込まれて帰って行った。
自分に甘いタイプなら周囲の人間を恨んだまま大して努力しないで終わるだろうけど、そうでなければ
自分の人生に対する危機感であれ橋下氏に対する逆恨みであれ、何かを原動力にして自分のために行動するだろう。
今後も左翼団体の駒として動く事はたぶんないと思う。
最後が違うぞ
逆に左翼の犬となって、きゃんきゃん走り回るようになるんじゃね?
お金を右から左へ動かすだけで儲けようとする(エントロピー的にそもそも間違ってるだろ)、学歴だけは高い馬鹿で欲深の詐欺師どもが、実態以上の状態に価格を膨れ上がらせたあげく破裂させて、そのツケだけは俺らも(下手すりゃ俺ら「だけ」が)払う羽目になるってのはどうにも納得できないんだけども。
転売でもうけるのは他の商売でも同じことだろ。食品やパソコンや土地ならよくて下部がだめな理由なんかない。エントロピーって言いたいだけちゃうんかと。
それに物の価値は人それぞれ、どういう価格だろうと実態以上と思う人もいれば以下と思う人もいる。あと株の値動きが予想と違えば投資家は損するわけでツケを本人が払わないというのは勘違い。なぜ世の中に影響が大きいかというと影響力のある大企業は株式公開してるから。株式やめたところで不況がなくなるわけでも預金とかの制度が今のままなら金融危機が起きなくなるわけでもない。実際今話題のサブプライムとかCDSだって株式じゃないし、むしろ株式のように市場で自由に売買できなくなってるから危機が深刻化してる。
あー、たしかマルクスさんて人が書いてたよ。
まず、みんな凄く一般論が好きだということが言えると思う。
自分の経験から帰納して一般論を導くことに凄くこだわりがある。
もちろん、具体例から一般論を見つけ出そうとする努力は凄いものだし、人類はそうやって進歩してきたのだと思う。
例えば、モテの男性にバカにされた、という具体例から、すべてのモテ男性はすべての非モテ男性をバカにしている、という一般原則が導かれたりする。
これはいくらなんでもやりすぎだ。非モテをバカにしないモテもいるし、モテにバカにされない非モテもいる。どちらの具体例も俺は知っている。
自分の持っている一般論を尊重するあまり、単純すぎる二元論もまかり通る。
また、オサレなモテとダサい非モテという分かりやすい具体例から、オサレ対ダサという二元論も作り上げられる。
それぞれの間の断絶が物凄く強調される。そういう際立った格差が、今の格差社会の特徴だと言えるのかもしれない……。
けれど、街を歩く人たちは実際そんなにオサレなのか。彼女を持っている人たちは実際そんなにモテているのか。
彼女をゲットした人たちがみんな高度な恋愛テクニックを駆使したとは思えない。
むしろ、現実の恋愛なんてもっと散文的でみっともないものだと思う。
普通に服を着ている普通の人たちだって、ファッションに関して何か思想があるわけではないだろう。
恋愛テクニックを磨いたりファッションに思想があるのは一部の人だけではないか。
最近の恋愛やファッションが物凄く難しいものに思えるのは、それらが業界によって専門技術化されたせいだと思う。
昔は文豪の小説をみんな読んでいたけれど、今の時代に純文学を読むのは限られた人たちだけだ。文学が専門技術化されたからだ。
音楽もそうで、昔は(今で言う)クラシック音楽をみんな普通に楽しんでいた。いまそれらは専門技術化されて、限られた人だけの楽しみになってしまった。
それらと同じように、恋愛もファッションも敷居が上がってしまったのだと思う。仕事術とか「コミュニケーション能力」とかいうものも多分そうだ。
人間全体が底上げされていれば、専門技術化も悪くなかったかもしれない。
しかし、悲しいことに人間が身につけられる専門技術には限界があった……。
音楽や文学ならともかく、恋愛や服を着ることは普通の人が自然に行なっていることだ。
だから、モテでも非モテでもなく、オサレでもダサでもなく、グレーな普通の部分が実際には幅広くあるはずだ。
その幅の広い部分は、専門技術崇拝のはびこる昨今ではメディアが取り上げないので見えてこない。(あるいは、メディアが情報源として大きくなりすぎ、具体例が相対的に地位を下げたか……)
非モテからモテへ、ダサからオサレへ、何かとんでもない専門技術を身に付けて大変身しないといけないように思われているけれど、本当はグレーの諧調を少しずつ登っていけば良いのではないか。
まず靴をちゃんと磨くところから始めたり、職場の女性に対して顔を見ながら挨拶をするようにしたり。
中途半端で良いし、失敗して良いと思う。普通の人はみんな中途半端だし失敗しているのだから。
ごく限られた自分の境遇から一般論らしきものを引き出して、それで何かに勝った気になるのが一番危険だと思う。
理論というのは、それ自体の正しさや適用範囲とは無関係に人を動かすことがあるし、そうして誤らせる。
自分は非モテだからああなんだこうなるんだ、という理論に取り付かれて身動きが取れなくなってしまう。
一般論否定の文章を書いていて最後に一般論を述べてしまうけれど(汗)、非モテの人は理論が好きな人が多いと思う。
「論理」というよりは「理論」。あの場合こうなる、という法則を自分の中に蓄積し、それを頼りに生きようとしている人が多い。
敢えて反証を試みようとはしない。
実を言うと俺自身(非モテ)がそうなので、自戒を込めて。(汗)
(トラバの指摘を受けて改行を入れてみました(汗))
せめて「投機」ってものをなんとか止める手段はないの?
おっと休憩ですか。
金融危機ってのは、金融市場がうまく動かなくなって、機能低下してることなんだよ。
株式市場停止したら、益々機能低下するよ。
それこそ百害あって一利ない。世界恐慌の話でも読んできな。
それくらいならバーバリーチェックならヤバいことにならない。アレはチェック柄以前に「バーバリー好き」にカテゴライズされるから。
金融危機とか今言ってるけどさ。
お金を右から左へ動かすだけで儲けようとする(エントロピー的にそもそも間違ってるだろ)、学歴だけは高い馬鹿で欲深の詐欺師どもが、実態以上の状態に価格を膨れ上がらせたあげく破裂させて、そのツケだけは俺らも(下手すりゃ俺ら「だけ」が)払う羽目になるってのはどうにも納得できないんだけども。
もうさ、原点に戻そうよ。
株ってのは、アレだろ?本来は大航海時代に海の向こうへコショウとかを探しにチャレンジする人を応援して、もしコショウをうまく持ち帰れたらリターンがもらえるとか、確かそんな感じじゃなかったっけ?
変に流動性なんて持たさないで、企業側は「金に困った時に公募で資金提供を募る(国債みたいに)」、投資家は「応援している企業に対する定期預金」みたいな扱いで個対個で資金を提供する。中途での解約は不可。企業成績に基づく正当な配当はあり。
これじゃ駄目なの?
よくわかんないのだけど、株式市場が必要な理由って何?
百害あって一利なしにしか思えないのだけど。
さすがgeekな人はいうことが違うな。
確率を大幅に上げるコストパフォーマンスのよい努力というものは存在するだろう
つまりこれを探さないといけないわけで、統計だな。
成功者だけでなくさまざまな人にアンケートして、成功度合と相関の高いことがらを抽出せねばならん。
もしかすると、本人たちの気付いてない、毎朝の納豆が秘訣なのかも知れないのだから。
それをしないのはモンタメソッドである。サクセスストーリーに飛びつくのは納豆に飛びつくのと同じである。
ん?もんたって成功者ではあるな。
もしかしてそれが秘訣?
むしろ、あなたこそ勘違いしていると思われる。
「ファッションに興味ない」の逆は「ファッションに興味ある」であって(厳密に言えば興味ないことはない、だが)
「ファッションに(マナー的な意味で)気を使う」は「ファッションに興味ない」とは相反しない。
「ファッションに興味ない」人は必ずしも「モサ」「ダサ」「何も構わない」であるわけではない。
「ファッションに興味ない」人が勘違いしていること、といって、なぜ「ファッションに気を使っている人は、そんなこと思っていないよ」という文脈で始まるのか?さり気無く「ファッションに気を使っている人は」と混ぜ込んでいるけど、「マナーレベルで気を使う」のはまた別の話だ。「ファッションに興味ない」と言っている人は(私もどちらかといえばそうであるが)、それはあくまで「興味がない」「積極的に楽しもうと思わない」のであり、「何日も同じ服を、洗わず着っぱなし」「マナー的に問題なレベル」「見苦しい」とは限らない(そうである人も、いるだろうが、日本では今時そう言う人はごく少数である)。
寧ろあなたが勘違いしているのは、あなたは我々と相反する存在ではなく、寧ろそのエントリが本当の気持ちだとするなら、あなたは、またこれに同意するような人間は、むしろ我々の側である。(いやだというかもしれないがw)
問題にしているのは「興味があるかないか」の話であり、「気使えているか」という話は別だ。
そこをそもそもあなたは勘違いしている。その辺りの問題を、全て一緒くたにして語っている。
左右のように
<興味ある・服に気使ってる(左)><興味ない・服に気使わない(右)>
のニ極ではなく、東西南北のように四つの極があると考えた方が近い。
<興味ある(東)><興味ない(西)><気を使っている(またこの気を使うレベルはあるだろうが)(南)><気を使っていない(北)>と。
あのエントリはこの中で東と西に分けた場合の話をしているのだろう。
あなたが仮にだが、別に興味ないけど周りにあわせるためにそこそこの服を着ている、というなら、再度言うがあなたは興味がないという意味では寧ろこちら側の人間である。(興味ある、というならまた違うが)
勘違いしているのは、そちらでは?
一度社会人をやったら新卒扱いにはならないよ。大卒で働いて、やめて院に来ても次に修飾するときは中途採用扱い。高卒で働いて、途中で大学行ってまた就職する場合も同じ。大学でてからまた大学入りなおして、となると新卒だが。つまり新卒ってのは職歴が全くなく、卒業見込みの人間のことを言うわけだ。
追記:ごめんTBまちがえた。