http://anond.hatelabo.jp/20081026111519
推すのは1点。
目指すところが、良きパートナーならば、クラスメイトでもクラブ仲間でも仕事の同僚でもいいだろう。
恋は一種の熱病であり、一過性の嵐のような感情の昂りに過ぎない。
理屈もへったくれもなく、打算も冷静な判断もない。
好きになった相手をとことん肯定していくのだ。
だが、一定時間経つと醒める。冷めるじゃないんだ。醒める。
ふと、我にかえって、「この人と一緒にいると、何かいいことあるのか?」という打算が首をもたげてくる。
お互いに相手を尊敬できるところがあるから関係が続く、というのは、人間関係としては最高の形だと思うが、愛か? それ。
愛というのは、相手が笑って生活していくことが嬉しいということ、を推したい。
隣に居るのが自分だとなおいいが、別に自分でなくてもいい。
相手が心安らかに楽しい時間を過ごせるよう気を遣うことが苦もなくできる。
確かに相手に世話してもらいたいと思っているうちは、到底、たどり着けない領域だとは思うが。
パートナーシップとは違うものだと思う。
人間は必ずしも物事をその重要性に応じて処理しえないことを知っている。
しかし、また一番重要なことがらを最初に処理するように計画するほうが、行きあたりばったりのやり方よりも、はるかに良いことも知っている。
[仕事][選択と集中][KFS][全体最適][パレートの法則][仮説実践検証][PDCA][時間管理マトリックス][改善]
これが男女入れ替えたら結論も逆転するのが不思議。
ファッションに興味のない男性視点だと、着飾るのは純粋に楽しいからというより、
「『ダサい』と言われないため」「異性と仲良くなる、モテるために必要」というように
主に異性ウケとの関わりが目立つ。
http://anond.hatelabo.jp/20081025232204
上の増田さんのような、多くの自称「ファッションに興味ない」人達が勘違いしていることを列挙。
楽しくないのにファッションに気を使う理由は、それぞれになんらかの必要性を感じているからである。
以下に例を挙げる。
自分が必要と思ったときに、服装に気をつかえばいい。
以上
ライフハック(笑)を言いたがる人って、うーん。
何なんだろう
自分のメモなんだろうか
他人にも勧めるって何なんだろうか
絶対的にこれがいいんだっ!的な陶酔みたいのがあるんだろうか
何でまとめないといけないんだ、的な
※なんか、それっぽく思えてもきた
恋人はお世話係なんじゃなくて、
自分に足りないものを補ったり、成長させてくれるパートナーであるべきではないのだろうか。
ということ。
世の中、さも恋人がいることが幸福であるかのように言われている。
女子界隈などさらに悲惨だ。
メディアから雑誌から彼氏がいないと負け犬かのように扱われている。
しかし、その実、
その辺のカップルには中身のない関係をだらだら維持しているだけのものが多く感じられる。
一種この辺の思考は自分の男性的ロマンチシズムによるところが大きいのだろうが、
破局後の冷や水を浴びせられたような友人を見ているとなかなかいい線であるような気もする。
私にも熱病のようなアホウの幻想に取り付かれた時期があったが、
犬も食わないようなアホウな話なので、割愛させていただく。
ただ、アホウな男がアホウな女とくっつき、愛想が尽きた男が振ったというだけの話だ。
今までの経験から考えるに、
一定の恋愛メソッドに沿って行動すれば、
よほどの非コミュやブサイク(社会生活に支障が出るくらい)以外は彼女を得ることはたやすい。
同意と受容を繰り返し、
「この人は自分のことをわかってくれている」と勘違いさせ、
他の異性よりも近い間合いを確保するためのメール攻撃や対面コミュニケーションを取る。
ただこれだけで相手が恋愛脳患者の場合はだいたいどうにかなる。
そんなので作られる関係が長続きするわけは無いが。
すぐ甘える。すぐ泣き言を言う。
それでは幸せになるなんて到底不可能だ。
まぁ、私が言いたいのは、
恋人はお世話係なんじゃなくて、
自分に足りないものを補ったり、成長させてくれるパートナーであるべきではないのだろうか。
ということ。
異論、反論は認める。
追記
批判されるべきは2つ。
推すのは1点。
ポストヒューマンの魔術師のブログを読んで理解しようと思ったけどよくわからなかった
でもそれを理解した結果できることが
「人をアスペルガーって誹謗中傷じゃねえの。みんなもそう言ってるよ。診断書見せろよ」
を長文で言い続けることならしなくていいか
人生には、選べるものと選べないものがある。選べないものの代表としては、まずは親だ。それと、不慮の事故で親が亡くなるとか病気になるとか勤めていた会社が倒産するといったような、運命のような何か。それ以外にも出会う人とか、自分が選ばなくてもやってくるものは沢山ある。
困ったことに、この選べないものに平等さなんてものはかけらもない。極端なことを言えば、いつもの通り生活をしていても事故にあって突然死んでしまうこともある。他のいつもの通りに生活をしていた人たちは死ななかったのに。本当に不平等なものだ。
その不平等な、選べないものの隙間に、自分が選べる選択肢がある。選べないものが不平等なんだから選択肢も当然不平等なものになってしまう。けれども、その中から選ばなくてはいけない。更に言うなら、選択肢を見つけなければいけない。自分が選べる選択肢が全部が全部綺麗な形になって見えるわけではないからだ。自分の目の前の条件を検討して、その中から何が選べるのかまで自分で考えなければならない。これはとても難しいことだ。けれども老若男女関係なしに、この難しさに直面してしまう人は確実にいる。
そして更に厄介なのは、この難しい選択の結果は、ギャンブルのようなものだということだ。運が悪ければ、選んだ先にまた選べないものがやってきてその選択肢を選んだときの計画が全ておじゃんになってしまうことがある。
本当に心の折れる話だ。
それでも立ち上がれる人、それは本当に強い人だ。簡単に橋本知事の経歴を見てみたが、橋本知事は強い人だった。けれども誰しもがそんなに強いわけではない。正確に言うと、強くなれるわけではない。
けれども、選ばなくてはならない。自分が弱かろうとなんだろうと、選ばないで立ち止まったままでいるという選択も含めて自分の道を選ばなくてはならない。選べる選択肢が不平等であっても、その中から選ばなくてはならない。そして一番大事なのは、自分が選んだと自覚することだ。
もしかしたら、自分がその選択肢を選んだことを自覚することが一番難しいのかもしれない。他の人と比べて明らかに不平等な選択肢を見せつけられて、その中から自分が選ぶということを自覚することは本当に難しいかもしれない。こうせざるを得なかったといって、自分に選べるものがあったということすら気付かないのかもしれない。
けれども、その選択肢を自分が選んだという自覚が一番大事だと思う。そしてそれこそが希望だと思う。どんなに辛い状況でも、どんなに過酷な選択肢しか残っていなかったとしても、それを選ぶことだけは自分でできる。自分にしかできない。そしてどんなに辛い道であっても、自分が選んだという矜持があれば、それがきっとその先の道を照らしてくれる。
選べないことが起こってしまったら、それをなかったことにすることは出来ない。だから、せめてその中で自分が選ぶ自由がどれだけあるか考えなくてはならない。そしてそれを自分で選ぶ。それを自覚する。それが自分の人生を運命から取り返す唯一の手段だと思う。
そもそも使われることを前提として提供してないと思う。
図書カードにしたいんだよ。本当は。
…
でも、図書カードにしたら、使えないよな?
使えるか?
テレカ以外に、全国区&対面で晒さなくても使える金券カードって何かあるっけか
いや、「痛xx」ってのがあるくらいだから、
使う奴いるだろうな。
多分、
なんだよ、きっと。
誰かとはじめて付き合えたということは、
「異性から必要とされる自分」として自分に自信をもたらすから、
たいがい増田で「非モテ男と付き合ったけどろくでもないからすぐに別れた」という女性のエントリが上げられ、
それについてシロクマ先生が非モテ批判的な論評を加えるという構図。
非モテの特徴に「初めて異性と付き合って気分が舞い上がる」というのが付け加えられる日は近いな。
そして、非モテと思われたくなければ女と付き合っても何も感じるなよと。
恋人がいないという理由で「空気や世間体」からバッシングされる可能性をあらかじめ封じるくらいの知恵は必要だろう。
彼女として付き合ってくれる人をきちんと愛することが幸せなのだよ。
もはや恋愛とは単なる個人的な行為ではない。
恋愛が「コミュニケーション能力」や「人間性」を判断・評価する重大な基準とされている現実がある以上、
「彼女として付き合ってくれる人をきちんと愛することが幸せなのだよ」という意見は、
恋愛(やコミュニケーション能力)を理由に第三者から非難されたことのない、リア充的な、勝ち組の論理に過ぎない。
普通に勉強しただけじゃ入れないというのは言い過ぎとしても、大阪では一般に公立の方が難しいしランク高いと思われてるよ。
っていうか、(6ヵ年一貫以外の)私立高校なんて、クロマティ高校みたいなイメージだから。
そのあたりが関東とはまったく違うので、気をつけないといけない。