2008-10-26

自分で選んでここに来たこと 信じられたなら笑える日来るから

橋本知事の私学助成金削減問題周りで考えたことをつらつらと。

人生には、選べるものと選べないものがある。選べないものの代表としては、まずは親だ。それと、不慮の事故で親が亡くなるとか病気になるとか勤めていた会社倒産するといったような、運命のような何か。それ以外にも出会う人とか、自分が選ばなくてもやってくるものは沢山ある。

困ったことに、この選べないものに平等さなんてものはかけらもない。極端なことを言えば、いつもの通り生活をしていても事故にあって突然死んでしまうこともある。他のいつもの通りに生活をしていた人たちは死ななかったのに。本当に不平等なものだ。

その不平等な、選べないものの隙間に、自分が選べる選択肢がある。選べないものが不平等なんだから選択肢も当然不平等なものになってしまう。けれども、その中から選ばなくてはいけない。更に言うなら、選択肢を見つけなければいけない。自分が選べる選択肢が全部が全部綺麗な形になって見えるわけではないからだ。自分の目の前の条件を検討して、その中から何が選べるのかまで自分で考えなければならない。これはとても難しいことだ。けれども老若男女関係なしに、この難しさに直面してしまう人は確実にいる。

そして更に厄介なのは、この難しい選択の結果は、ギャンブルのようなものだということだ。運が悪ければ、選んだ先にまた選べないものがやってきてその選択肢を選んだときの計画が全ておじゃんになってしまうことがある。

本当に心の折れる話だ。

それでも立ち上がれる人、それは本当に強い人だ。簡単に橋本知事の経歴を見てみたが、橋本知事は強い人だった。けれども誰しもがそんなに強いわけではない。正確に言うと、強くなれるわけではない。

けれども、選ばなくてはならない。自分が弱かろうとなんだろうと、選ばないで立ち止まったままでいるという選択も含めて自分の道を選ばなくてはならない。選べる選択肢が不平等であっても、その中から選ばなくてはならない。そして一番大事なのは、自分が選んだと自覚することだ。

もしかしたら、自分がその選択肢を選んだことを自覚することが一番難しいのかもしれない。他の人と比べて明らかに不平等な選択肢を見せつけられて、その中から自分が選ぶということを自覚することは本当に難しいかもしれない。こうせざるを得なかったといって、自分に選べるものがあったということすら気付かないのかもしれない。

けれども、その選択肢を自分が選んだという自覚が一番大事だと思う。そしてそれこそが希望だと思う。どんなに辛い状況でも、どんなに過酷な選択肢しか残っていなかったとしても、それを選ぶことだけは自分でできる。自分にしかできない。そしてどんなに辛い道であっても、自分が選んだという矜持があれば、それがきっとその先の道を照らしてくれる。

選べないことが起こってしまったら、それをなかったことにすることは出来ない。だから、せめてその中で自分が選ぶ自由がどれだけあるか考えなくてはならない。そしてそれを自分で選ぶ。それを自覚する。それが自分の人生運命から取り返す唯一の手段だと思う。

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