2007-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20071215000342

公教育スタンダード」は言いすぎだと思うけど、こうした傾向は、右派左派問わず

教育に関わる人間、あるいは教育について語る人間に多く見られるのは確か。

これって、大げさに聞こえるかも知れないけど、あるべき「国民」の姿をどう思い描くか、という問題と、

一部はつながっているんだと思うんだな。

何か一つの制度や規範を作ったとき、そこからはみ出ていく者が集団に負わせるコストをどう考えるか、という問題。

個人的には、そうしたコストは喜んで負わなくてはいけないと思う。

日本」という枠を、今後も維持して行きたいと考えるなら必死でそうすべきだ。

そして、

どのような国民像を思い描くにせよ、そうやって教育には大人の欲望が入り込むわけだな。いつの時代も。

いくら口先では「子供のために」と言っていても。自分の言説も含めて、これは本当にそう思う。

つまり、こうして教育をすぐ国家の問題に直結するのは、教育を何かの手段としてしか見ていないということでもある。

教育が問題だ問題だと言いながら、肝心の、今そこにいて生きている児童や生徒には距離を置いてしまう。

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