書き手が無自覚でも その人が書いた文章の 引用の内容 体験談に出てくる場所や時期 例えに用いられる物事の種類で 書き手の知識量や所属するコミュニティを推し量ることができる
つまり、卓越したフィクション構築能力を持ち合わせている人間を除いて
例
最初のほうでイツハクがヘドウィグの頬をそっとなでるシーンが好きだ。すごくすごく好きだ。大事で、でも怖いと思っているものに触れている感じが好きだ。はかないのに尊くて、なんだが涙が出てきたシーンだ。その後のOrigin of Loveでさらに涙が出た。イツハクの手は確かに愛を持っているのに、ヘドウィグはまだカタワレを探している最中だからだ。ヘドウィグの歌はヘドウィグの魂だ。
オナニーを寸止めできた。寸止めっていうか自然とやめとくかって途中で中断した。すげぇ。冷静に堤さやかでさえこいつでは抜けないとしてしまう俺すげぇ。不能に近い男だね。クール。
で、なんとなく思ったのは、何かに向かって頑張ってる時は自然と精子が貯まらなくなっているのではないかということ。
人間の体は、いや、人間というものは環境依存型なんだなぁと久しぶりに思ってなんだか嬉しかった。もっとこの体使ってやろうかな。
第1話「空を自由に飛びたいな」は→http://anond.hatelabo.jp/20070128092423
「世界」が自分のものになる夢を見た。
俺は、八百屋の店番をしていて、客の前で「ジャイアン・リサイタル」という自らのあだ名を冠にしたライブを演じている。その時の俺は「世界はすべて俺ののもの」と確信しながら唄っているんだ。
目覚めると、夢精をしていた。
それが、俺の精通だった。
俺に思春期がやってくるのは、少し周りに比べると遅かったみたいだ。そんな暇がなかったのだ。俺にはやらなければならないことがたくさんあった。確かに静香という名の可憐な少女に見とれることはあったが、それはただ美しい絵画を見るのと変わらなかった。そんなことより、目の前ののび太をぶん殴ることが大切だった。
そのためにはクラスを支配しなければならなかった。
俺にとって興味があったのは「漢」として自分がどうなのか? という価値基準であって「男性」として女にどう見られるかなんてものは問題ではなかった。
だから、俺はつい最近まで、そのことに全然気付かなかったんだ。
磯野カツオにとって、一番の悦びは周りの人間達を自分の意のままに動かすことだった。
時には詭弁で、時には謀略をはかり、クラスを支配することが、何よりの快感だった。
そのために口から出てくる嘘も何の抵抗もなく吐き出していた。
例えばカツオにとって、女子と付き合うことは、恋や愛の類では決してなく、クラスメートから一目を置かれるためのステータスでしかなかった。だから自分の付き合うべき女は、クラス一番の美人である源静香でなければならなかった。
自分にとって、同級生達は見下すべき存在で、磯野カツオこそが、特別な存在なのだ。そう思っていたし、事実、今のクラスでそれは実現していた。
世界の中心は自分の足元にあり、そこを中心に世界は回っていた。
その象徴が、自分の誇りである、この巨大な性器だった。全長30センチに迫ろうかというそのモノが成長していくのと比例するように、自分のエリート意識は膨張していった。
自分には全てがある、そう信じた。
邪魔なものは排除する、溢れる知恵と肉体的な魅力によって。
俺はカツオとともにすごすのが楽しかった。
こいつは信用できる奴だ。俺が唯一認める「漢」だ。カツオだって、俺の事をそう思っているのだろう。こいつが何か行動する際は、必ず俺に相談をしてくれるし、面白いことが起こりそうな時は、俺に教えてくれて、誘ってくれる。
カツオと一緒にいれば、俺にとって何か面白いことがある、そう思っていた。
カツオは思案していた。
いつも自分に近寄ってくるこの男……ジャイアンこと剛田武の利用価値とその弊害について。
いつも番長風を吹かせるこの男は自分がクラスの中心につくために必要な人材であったことは事実だ。しかしながら、いまや、自分の自由を制限する存在でしかなくなりつつある。
なんとかしなければ。そう思った。
何か、この男の弱みはないか?
そんなことを日々考えながらすごしていた時、ふいにそれを見つけてしまった。
それは、ジャイアンがぶらさげているモノであった。豆粒にも似たそれは彼の大きなお腹にほとんど隠れて見えないほどだった。
「粗チン」というにも値しない。
これを利用しよう。それには女の協力者が必要だ。カツオはクラスメートを思い浮かべた。
則巻アラレがいい。
彼女を使おう。カツオはジャイアンを落としいれ、名実ともにただ一人のクラスの中心になるために綿密な計画を練り始めた。
「僕は新世界の神となる」
どこかに本当の俺がいるはずだ!みたいな
片方から名前を奪うようなことをしたくない。
もちろん自分も奪われたくない。
結婚は社会的なものだと思うけれど、なにをするにも常にそれをひっさげていなくちゃいけないほど全人格的なものではないはずだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070129105059
何でこういうのが物凄い気持ち悪いのはどうして?
文体が癇に障るのかなこれ。
誰にでもある物だと思うよ。
気にしてるよね。
じゃあ、逆の視点から見てみようか。
でもさ、それでいいの?
聞いてあげて、受け入れてみようよ。
そのうちにあらびっくり!
きたりするんだよ!
初めてみてよ。
の辺り、何かもうケンカも出来ないのに右ストレートでぶっとばしたくなる。
かと言って内容は頷けるかっつうと、他人のコンプレックスを受け入れるってのが具体的にどういうことなのか(否定しないことなのか自分もその部分に触れないようにすることなのか相手が何を言おうと気にしないことなのか)分からないし、コンプレックス持ち同士で同病相哀れみあってたらその反作用でコンプレックス持ちを受け入れない大多数の人間を仮想敵に設定することになってそれこそ『でもさ、それでいいの?』じゃねーのって感じだしうわあああああああああ。
俺が反抗期なのか?
「――のは俺だけ?」っていうのが嫌いだという人がいた。何でも人に聞かないと決められないようで不愉快なのだそうだ。
「――のは気のせい?」と同じ、ただの反語だと思うのは俺だけ?
性欲も寂しさも、結構自慰でなんとかなる。
自慰後の脱力で寝てしまえれば問題ないが、タイミングを逃してしまったら長い夜をどう過ごせばいいか。
「わかるわかる」とか「自分の事かと思った」とかいう言葉は嫌いだ。「あなた」が「私」の文章を読んで「胸が痛く」なったとしても、それは「あなた」の感情で「私」のものではない。「あなた」と「私」は同じではない。「あなた」が「わかった」のは「あなたの心」だけだ。「わかるわかる」とか「自分の事かと思った」のあとに続けられる文章は、もっと嫌いだ。それは「あなた」の思っている「あなたの問題」で「あなた」の抱えた「あなたの心」の痛みだ。痛いほどわかったからって口に出すなよ。個人的な感覚が一般化されるようで、他人に自分を騙られるようで、心が拡散していくようで、不安になるんだ。
ねえ、お前の言っているそれは私ではない。
http://anond.hatelabo.jp/20070129173104
問題は高校になり自分より成績のいい奴か出現すること。
進路が複数になり、正解のない答えを要求する問題が増えること。
大学に入り自ら問題点を挙げて、それに対する分析と適当な対策や新たな問題提起など、
実務的な作業を要求される課題が増えること。
それらがうまい具合にこなせなかったときにどうしたらいいかまでは、
某教材のあかまるさんはおしえてくんないけどね。
うおおおおおあるあるよくある
某所で闇に葬った話を匿名をいいことに書いてみる。
向精神薬と酒。
向精神薬ってのは要するにハルシオンとかに代表されるいわゆる睡眠薬とか、
厳密にはまた違うんだが一応ここでは気にしない。
基本的に、向精神薬はどれも酒と相性が悪い。
薬の効きが強くなりすぎたりして危険だと言われている。
じゃあ統合失調症・睡眠障害持ちの僕は酒が飲めないのか、といえば
教科書的にはその通りであり、宴会の席での乾杯も控えるべきである、となる。
が、現実問題そう簡単にいくかといえば…そうでもない。
仕事の席での乾杯を避けるのは難しい (場合によっては失礼にすらなりうる)。
また、これは言い訳かもしれないが、旅行先などでの地酒摂取など、
アルコールを「常用」はしないが、「稀に」摂取したくなる時はある。
という話を精神科医にしたところ (同じ医師から既に一応酒は止められている)、
…自分しか考えられない。いわゆる「自己責任」。
「酒飲んでいいと医者が言ったから (略)」で飲んでしまって
思わぬ薬の作用で大変なことになったりした場合、
リスクを伴う行動は取らせない、安全側に倒すのはやむを得ない。
その結果出てきた言葉が「医師として責任は取れない」だったのだろう。
あとは自己責任の範囲で何をするか。
人によって答えは変わるだろうが、僕は僕なりの答えを出すことにする。
俺の背中を見せ付けて成長させてやりたい。本当ならどうして勉強なんてしないといけないのなんて聞かせないほどな親父でいたい。
しかし俺本当に成長してないなぁ、嗚呼。
自分の事がいい加減なのにそりゃないぜ、だよなぁ本当に。俺が子供のころ思ったことを今になっても思うし、親父になっても思うんだろうなぁ。なれるのかなぁ。なるんだろうなぁ。
愛だなんだの言っても、自分自身に愛が無いんじゃ愛って何?ってことだよなぁ。
大抵こういった落書きレベルの文章を書く時、一人でも、優しく頷きながら聞いてくれたり、頭を撫でてくれる異性がいれば、絶対書かないなと思いながらキーボードを打つ。
ブログもSNSも、てかネット全体がその瞬間の寂しさだけで埋め尽くされているような気さえする。何より自分がそうして埋め尽くしてきたから、錯覚かもしれないが。まあ、どっちでもいいことだ。
そうして自尊心を保ちつつ、寂しさを紛らわす。他人とまじりあえば、きっと自尊心は保てないし、寂しさ以上の悲しみが炸裂するだろう。結局発射しない自慰ですんでるんだろう。これって。
それでもパートナーを求める。瞬間的なパートナーなんてものは有り得ないのだ。キャバクラでも風俗でもメル友でも何でもそうだが、実は瞬間的じゃない。プロセスがある。金を稼ぐなり疑似コミュニケーションだったり。
でも、午前3時15分くらいのどうしようもない寂しさを埋めるためだけに、貴方にいてもらえると僕は到底思えない。
だったら、やることやって、落書きかいて、翌日午後17時に「今日は早く帰って寝よう」くらいしか思うことのない生活で良い。
…という最悪な想像をちょっとしてみた。…大丈夫、俺ここまでじゃない。
続き。
ぼくは彼女からの好意らしきものを感じていて、何となくそれを避けていたのだった。そういえば。ぼくはそれをすっかり忘れていて、「仲のよかった女の子」という枠でのみで記憶していた。いやまあ、それも間違いではないのだけれど。
あるいは。好意らしきものというのも後付で捏造された記憶なのかもしれない。でも、思い返すと、一緒に映画を観にいったり、一緒に出かけたり、飲み会のときはいつも二人で話していたり、そういえば携帯電話を持ち始めたきっかけも彼女だった。もしこれが友人から聞いた話であれば、「絶対お前に気があるって」位のことは言いそうだな。うん。
前にも書いたとおり、そのころの携帯電話には同じキャリア間でショートメッセージを送る機能しかなくて、それもオプションのサービスで別途契約する必要があった。ぼくに携帯電話を持たせることに成功した彼女は、今度はこのショートメッセージのサービスの開始を迫った。というのは大げさすぎるか。でも、かわいい女の子に「えー、○○君にメッセージ送れないの?」なんて言われて逆らえる男はほとんどいないんじゃないだろうか。もちろんぼくにも無理だ。
ぼくは昼ご飯を食べているその場で(彼女とはいつも一緒に昼ごはんを食べていた。もちろん、二人っきりではないけれど)電話をして、ショートメッセージを使えるようにした。彼女は「無理言ってごめんね」なんていってたけど、その割にはとても嬉しそうだった。そうして、ぼくたちは休みの日にもちょくちょくメッセージのやり取りをするようになった。
ぼくが長期出張に行ったのは、入社して半年のことだった。わざわざ出張に行くのだから忙しかったのだろうと思う。その頃のことはあまり覚えていない。彼女からの一通だけのメールはちょうどその頃の日付が入っている。彼女が会社のアドレスあてではなく、ショートメッセージでもなく、あえて個人のメールアドレスに宛ててメールを出したのか、ちょっと分かるような気もするのだけど、確かめるすべはない。
(続く)
自分が親になって、子供に「どうして勉強しないといけないの?」なんて言われたとする。
自分の子供なら自分の性格をある程度受け継いでいるはずだから、自分が子供の時の場合で考えてみる。
どんなに正しい理屈言おうが、情に訴えようが、先生の教え方の問題にしようが、嫌なものは嫌以外の理由はないから、下手に真面目に扱われたら、余計にうっさいなぁと思うだけだと思う。
いかにやりたくない事をやらないで済ますかに全知能の限りを尽している子供もいる。
そういう場合は、もう、有無も言わせず、やらなきゃ殴るというのか、「よし、分かった、んじゃ、やらんでいい。そのかわり、どうなっても知らんぞ。」と、価値観を押し付けるか、突き放してしまうかしないとダメだ。
子供の人権だなんだって、結局やりたくない勉強をやらそうとしているんだから、変に優しい言葉でなだめようとしたって、賢い子供のはそれをうまく利用して、表ではいい子、裏では何やっているんだかってやっていくよ。
殴ったって、裏でさぼったりするだろうけど、どのみちそうなるのなら、ばれた時の事態の重さを知りながらやる方が、なんとかごまかせられるやとか、ばれる事すら想像できないでやっているより、数倍ましだと思う。
オレだったら、まず、自分の責任において勉強しないなら構わないって言うね。
そうすると、オレと同じように実は気が弱いから、しぶしぶながらもやると思うよ。
で、勉強して成績が上がったりでもしようなら、褒めてやる。
嫌がるだろうが、それは照れているだけだろうし。
親に気に入られたいから勉強する。これが心地よいと思う子供もいると思うぞ。
で、それが余計なプレッシャーになって引き蘢ったなんて自分の体験談を話しはじめる奴がでてくるだろうけど、それはお前の場合であって、そうじゃない人もいる訳で、要はね、自分の子供をしっかり見ろって事だけだ。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」の答え、または、それを答えないか、なんて事は考えなくったって出てこないといけないものだよ。
この論争に、本当に子供がいる親が悩みながら参加しているとしたら、子供が勉強しないなんて問題よりも、もっと重大な問題を抱えているんじゃないかと思った方がいいね。
お昼寝してたからそのままにしていた。
こっちは暇で。寝顔見てるのにも飽きてきて。
仕方ないから夕食の準備をしてた。もしかしたら物音で起きるかも?という淡い期待を持っていたんだが。
全く起きやしない。
どうしても買い物に出なきゃいけなかったから起こしたら
「いってらっしゃい」とだけ言って再度眠りに入った。
買い物から帰ったら起きてたけど…
結局2時間寝てた。
久しぶりの休みで睡眠不足だったっていうならわかるけど、そうじゃないし、
もっとかまって欲しいと思うのは女の我侭なのかなぁ。
人は常に後ろ向きの力に引っ張られている。
「何もしなければ何も起こらない」という理屈があってもいいと思うのだが。
しかし人は、何もしなければ緩やかに死んでいく。
生きるためには食事が必要だ。食事をするためには金が必要だ。
金を稼ぐためには「何かをしなければならない」。
泳ぎ続けなければ死んでしまう魚のように。
だが、使いきれないほどの金があれば。
それは絶対的な安心感をもたらす。
「何かをしなければならない」という焦燥感とおさらばできる。
読書をしているとき、増田を見ているとき、こうやって文章を書いているとき。
俺はどうしようもなく焦燥に駆られる。
こんなことをしていていいのか。
何かをしなければならないのではないか、って。
その焦燥を感じなくなれば。
そのときは心の底から読書を楽しめると思うんだ。
だから本を買うんだよ。