事件をめぐっては三橋さんの同僚ら友人がマンションの防犯ビデオを独自に分析し、歌織容疑者の主張の矛盾を突き止めていた。
(中略)
「11日に家を出て帰らない」と主張する歌織容疑者に対し、三橋さんの友人がマンションの管理会社に依頼して防犯ビデオを確認すると、12日午前4時すぎに帰宅する三橋さんの姿が写っていた。
カメラのデータの保存期間は短かったが、知人は消去される前に動画をチェック。祐輔さんがマンションを出ていく姿が確認されなかったことから、妻の証言の矛盾点を見つけ出したという。
上記の記事では、友人らが防犯ビデオを直接チェックしたように書かれている。防犯ビデオの確認を管理会社に依頼した時点では、被害者はおそらく「無断欠勤して行方不明」というステータスだったと思う。そういう事情だけで、管理会社はビデオを外部の私人に閲覧させてもよかったのだろうか。ビデオ閲覧に関する管理会社の規則に違反しなかったのだろうか。記事には、友人らが別に証拠を持っていて管理会社に提示した等の事情は書かれていない。
管理会社がどういう経緯で友人らに閲覧させるに至ったかを知りたい。そこには個人情報保護に敏感な昨今に管理会社を納得させるだけの証拠や素晴らしい洞察があったのかもしれない。単に規則がゆるかったのかもしれない。
>リンクの許諾制をやめたところで、『悪質な業者に「警察へリンクさせてもらっている」と言われて利用される可能性』がなくなるわけではないので、「ノー」で。
つまり●の人は高木浩光の言う リンクは勝手に貼られるものだから信頼するな という提案が広まらないだろうという話をしている?
記載されている内容は、強い批判、あるいは侮蔑的と感じられる
表現を含むものの、○○様の何らかの投稿や言動に対する批判として
投稿されているものでもあり、このような批判自体を、弊社判断によって
削除対象とすることはできかねます。
「粘着されるからにはなにか原因があるはずだから、される奴が悪いんやろ」
これがはてなの見解だそうです。
強盗にあうのは、お金を持ってるのが悪い。
殺されるのは、生きてるのが悪い。
はてなって恐いところですね。
大多数にとっては失敗だったし教科書にもそう書いてあるけど
すみません、世界史は選択していません。「教科書に書いてある」なんて言われると、バットで頭を殴られたみたいな感覚になります。
理念というか、いわゆる正義感がなければ行動へと移行するだけのパワーは得られないと思うのだけれどなぁ。要するに、現在話題の「閉塞感」の打破のためには(過去に習えば)革命的妄想が必要なのではないか(と思ったり思わなかったり)
社会をより良くしたいとか、問題を解決したいとか、そのために必要なアプローチは理念(いわゆる倫理観とか正義感とか)を持っていなければそもそも生まれませんよね?という話なのです。
「激しい嫌悪感」って表現も極端だなぁって感じたので、何でだろうって疑問に感じただけなのです。
もしも(革命の)結果と、その発端としての(教科書的に書かれている)思想を直結的に結び付けてしまっているとしたら、少々端緒的にのみ注目しすぎではないかと思いました。
imgやiframeが良くないということは分かりやすい。視覚的に変化をもたらすからだ。
視覚的にって言われてもねえ。それは多くのブラウザの実装がそうなってるってだけで、imgタグでも単にリンクになってクリックしたら画像ビューアが起動するブラウザもあるしねえ。
htmlを書いた側は何ら著作権を侵害するようなことはしてない。リンクを張っただけというのはaもimgも同じ。視覚的な変化をもたらすのは閲覧者側のブラウザレベルの話。
大多数にとっては失敗だったし教科書にもそう書いてあるけど
動かしてた一部のひとたちとその祖先にとっては成功だったってこともあるかもしれませんね
http://anond.hatelabo.jp/20070112230417
■趣味でやってる人の方がプロよりよいもの持ってるっておかしくね?
道具の話をしているのだろうか。
もしプロスポーツの話をしているのだとしたら、それはおかしなことではない。
プロよりもアマチュアのほうが良い道具を使っていてもなんら疑問はない。
現代のプロスポーツは、すべからく広告メディアになっている。プロ選手の使う道具は、マーケティングのための道具なのである。広く消費者にアピールするための道具なのだ。アマチュア愛好家は、プロ選手が使っているものにあこがれて購入するのだ。その点で、プロは自分好みの道具を使用することが出来ない不幸な人々なのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070113025103
いわゆるセカイ系批判でしょうか。
だとしたら誰が言っているかが重要になりませんか?
皆が一様に世間知らずならば、まさにその通りなのだが、そんなにバカばっかりが語っているとはあまり思ってないのよね。(楽観過ぎる?)
一つの考えとして。
まず、インターネットというシステムでは、無断リンクは許されている。
では、インターネットが含まれる現実世界の規約・・・法律上では規制されているか?
(今のところ)違法という判例はない。
無断リンクという”強制力を持たない”個人の良心の問題、マナーやモラルの問題を
システムの問題のように強制力のある”全員が守らなければならない”問題と
考えている人がいる。某政党のように。
「皆さんは善人にならなければなりません。悪人は悪いからです。」
まぁ、世論の盛り上がりによって法律が出来上がることもあるだろうし、
インターネットの危険性を知らない子供が無断リンクによって、危険に
さらされることは実際問題あるかも知れない。
しかしながら、法律が出来たとしても、グレーゾーンは残るだろう。
http://??の最初のhを抜いてコピペするのはOKとか、など)
こうして、結論としては、元々、インターネット自体が持っている欠陥である以上、
新しくシステムを作るか、法律的に”ある程度”解決するか、教育するかという
ところに落ち着くと思う。単純に考えすぎ?
昨日とらのあな行ったら同人ゲームのフロアで薔薇乙女たちが戦ってるゲームのデモやってて。
なんとか私のノートPCでも動きそうな感じだったから買ってきてしまった。
なんだこれ。おもしろいな!product [ALiBAT TOP]
HARDで銀様が倒せない。
スイドリーム強すぎ。
もうちょっと練習してネット対戦にも挑戦してみよう。
ちなみに同人ゲーム買うのはこれが2度目。
ということは他所のサイトに勝手にリンクすることは著作権法における同一性保持権の侵害に当たる。
他人の著作物に手を加える行為になるからだ。
参照先(リンクされた側)は何一つ変わってなくね?
ここでいうリンクはimgやiframeは勿論aも含む。
imgやiframeが良くないということは分かりやすい。視覚的に変化をもたらすからだ。
しかしaは視覚的に変化をもたらさないが故に分かりづらい。
imgやiframeだろうがaだろうがリンクされた側は何一つ視覚的とやらには変化なし。
っつーか視覚的ってのは何に対して?リンクした側?された側?それ以外の何かの概念?
とはいえ、ちょっと考えてほしい。
おk
単に参照すぎないaを何故リンクと呼ぶのだろうか。
そこに目には見えない繋がりを閲覧者に抱かせるからではないだろうか。
目に見えるものが全てではない。視覚的に変化させないからといって、手を加えていないわけでないのだ。
リンク元とすればリンクしているのだから繋がりはあるね。でも、リンク先に手は加えてないよね?
「あそこに、ほげほげがありますよー」
って言ったからって「ほげほげ」ってものは変わらんよ。
目に見えるものだけで判断してしまう逆盲目的といもいえる意見なのだ。
閲覧者の心象に変化を与える、これは立派に著作物に手を加える行為だ。
めんどくさいのでやめ。
webしてるんだろ?
umedaさんとかはそれが飯の種にもなるからwebに住んでていいけど、
本業じゃない人がそれ聞いて俺もwebに住んでていいんダ!って日夜情報収集がんばっちゃうと
なんか違う感じがする。