2022-12-09

anond:20221209181355

言いたいのは、やってみなきゃ分からないことの中に、誰もがそれを経験することを余儀なくされちゃってる結果として「これでは意識は死なないな」と安心してるものが混じっているということだね。

睡眠細胞の入れ替わりはその典型で、これらもまた同一の意識が保たれるかどうかはそれをしてみてはじめてその主観内で発覚されることが、我々はこれを経験せざるを得ない(ただし同一だったときのみみそれが同一だと自分意識によって感じられるだけで、同一じゃない場合ハイデガーが「死は存在しない」と言ってるようなのと同様、同一じゃないことをその意識主体自覚することはできないはずだ)。

よってなし崩しに?事後的に?これらの行為安心とわかっているから、それらに恐れを感じていないわけだ。

これらのようなことか、手術のような自分意思でやるかどうかを選択してはじめて経験されることか、ということが問題だ。

ようするに、厳密に言語化しようとするとしっちゃかめっちゃかしてることだけども、ようは術後の感覚が「寝て起きたとき感覚」が同一でさえあるなら、その手術を受け入れるというわけよ。

実は寝て起きたという段階で昨日と今日の俺はスワンプマン同士なのかもしれないが、それならそれでその事実を知る前から俺はそのことを受容してしまっているんだから、それと同じである限りはまあ気にしない、恐れずに受け入れられるということよ(ただそこらへんがどうなのかどうかを手術受けた人から信ぴょう性ある感想としては原理的に絶対に引き出せないと考えられているのが相変わらずの問題なのであるが)。

記事への反応 -
  • ワクワクする話だね。 マインドアップローディング的な話だと、意識の連続性の問題が出てくるから、やつぱり肉体的な死が迫ったときに、延命の措置として行う(一方で肉体的な意識...

    • てか、肺とか胃とか重要な臓器に関する手術をした人間って既にスワンプマンか怪しいもんだよな。 自分とは異なる存在である限りハードプロブレムとして考えても詮無いことだと片づ...

      • 身体と人格の関係性という話な。 よく言われる「全身の細胞は2年で完全に入れ替わる」わけだから、そこにもスワンプマン的な思考の余地はあるし、臓器や身体の一部を欠損することよ...

        • 「従来そこにあるはずだった自分との違い」を観測できたら、スワンプマン的になるかもしれない。 違いの有無は問題じゃないと思う。むしろ違いがないことがあり得るのが我々に永...

          • 何か「致命的な手術とそこからの復帰」というのが、意識の喪失というものを指すなら、もはや睡眠を通しても同じ疑問が生じるし、身体の物質的な変化という点なら、意識と身体の関...

            • 言いたいのは、やってみなきゃ分からないことの中に、誰もがそれを経験することを余儀なくされちゃってる結果として「これでは意識は死なないな」と安心してるものが混じっている...

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