2017-05-23

気持ち強要する報道って必要なのかな?

友達同士が喧嘩していて、殴られたと怒っている片方から話を聞くとする。

まともな人なら、同情しつつ、もう片方の話を聞いてどっちが悪いか判断したり問題解決方法を探ったりするだろう。

扇情的ジャーナリズムは、片方の話を聞く前に「あいつひどいよなっ なっ」と意思表明を迫ってくるところがある。

何もしならない立場人間に、怒りの背景をきちんと説明せず、「お前も一緒に怒れ!」とくる感じがある。

沖縄問題しかり、原発問題しかり。

すると、考える気が失せる。

いろいろ調べた結果、最初友達が同情に値することをされていたとしても、こちらの判断の機会を奪った不誠実さが残る。

もう片方の友達に分があると思っても、それを表明すると話してきた友達ものすごい剣幕で怒るのは想像に難くない。

どっちに転んでも面倒くさい。

人生にもモチベーションにも限りがあって、甲斐のないことに労力を奪われるのは無駄しかない。

しかしないやっかいごとを考えるよりも、自分のやりたいことや専門分野に心血注いだほうが余程いい。

社会問題は皆が当事者にならなければと人はいう。

だけど、政治問題環境問題に首を突っ込んで本当にやりたいことがおそろかになるくらいなら、風まかせにするのもひとつ手段だと思う。

もちろん、友人同士の喧嘩はないほうがいいし、あるなら早く仲直りしたほうがい。

から問題解決をややこしくするような、怒りや悲しみの同調強要する報道は早く衰退してほしいと思う。

冷静に判断を仰ぐようなスマート報道が増えればいいのに。

と、いつも思う。

  • 東日本震災時にニュースで津波への警戒を呼びかける声が落ち着いていたので大した規模ではないのだと思って油断して流された、みたいな話があったじゃん。

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