という内容の記事に対して、「パンの方が好きな人もいるから。主語がでかすぎるよ。」という感想を持つのは理解できる。
好みは人それぞれだから日本人で一括りにするのはちょっとやり過ぎだ。
でも、「いや、○○人もお米好きでよく食べるよ。何で日本人だけがお米好きだと思ってるの?」みたいな感想を抱く人の思考回路が良く分からない。
今は"日本人はお米好き"という話しかしていないし、"日本人以外にお米好きは存在しない"とはひと事も言っていないのに、どこから"○○人"や"日本人以外にお米好きはいない"という情報が湧いてくるのか。
上記は例え話なので、お米の話でなくても良いです。
例えば、
「日本は屋内禁煙が進んでいない。」に対する「でも、海外は屋外で吸い放題だから。」
「タバコは害悪なので規制すべき。」に対する「じゃあ、酒も規制だな。」
「キレやすい若者が増えている。」に対する「いや、老人もすぐキレるから。」
「ボケ老人は免許取り消しにするべき。」に対する「いや、年齢に関係なく危険な運転するやつはいるから。」
どなたか教えて下さい。
誰かを非難する時や罰を与える時には特に公平さが求められる
そこに問題意識を持っているからでしょう。 常々、日本人は自分たちだけがお米好きだと間違った主張をしている。 これはゆゆしき問題だ。 コメ文化は日本独自のものではないこと...
ひろゆき以降の論破ごっこ