神が欺かないことの証明
欺きは全て欠陥に基づく
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ところで、存在の証明された神は「すべての完全性を持っており、いかなる欠陥からも全く免れている神」にならない
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従って神は決して我々を欺かない
ギモン)邪悪な霊による欺きの可能性は?
これに対する直接的解答は与えられていない。しかし「省察4」で展開される議論を参考にすると 恐らく次のように解答可能
仮に邪悪な霊をつくったのは神だから神が邪悪な霊を手先に我々を欺いていることに
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ところが神は決して我々を欺かないから
こうしたことはありえない
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従って邪悪な霊が我々をを欺くことはない
→以上の議論により「神または邪悪な霊による欺きの可能性」が打ち消されることに
従って、明証性の規則に従う限り「神または邪悪な霊による欺きの可能性を根拠に物事に従うことはできない
デカルトが感じる不安→自分にこれまで何度も誤りを犯してきた。仮にこの誤りの原因が特定できないと、これから先も同じように誤りを犯すことになるのでは?
この不安を解消するため、デカルトは誤りの原因を特定する作業に取り組むことに。
このうち意思する能力は極めて大きく神における意思する能力に匹敵するほど完全。
なぜ?
意思の本質→他から強制によることなしに自らの判断に基づいて何かを決断すること。
これを「私」は十分備えている。そしてその限界で意思の力は完全に近いと言える
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こうした強大で完全な意思する能力が誤りの直接的原因になるとは
考えられない
他方、認識能力はきわめて小さく不完全だが、我々を決して欺くことがない神によって与えられたものだからこれが誤りの直接的原因だとも考えられない
→この結果一瞬デカルトは戸惑うがすぐにいい考えを思いつく
「それでは、私の誤りはいったいどこから生じるのであろうか。この1つ1つのことからすなわち意思は悟性よりも広い範囲に広がるものであるゆえ、私が意思を悟性と同じ範囲にとどめておかずに私の理解していない事柄にまで及ぼす、というこの1つのことから生じるのである」