2011-09-25

肯定する役割

なんか、うまく言えないんだけど。

たとえば他人に相談事持ちかけられたとするじゃん。で、その「相談事」って大別して二種類になるじゃん。

どうオチをつけていいかからない、マジでアドバイスがほしいってパターンと、

持っていきどころはほぼ固まってて、ただ背中押して欲しい、大丈夫って保証して欲しいパターンと。

その、大丈夫って保証して背中押す役割が、なんかしんどい。

こういう場合って、結果的にそいつが失敗したとしても、

大丈夫って言ったじゃんウソツキ!」みたいな展開にはなかなかならない。個人的な体感十中八九ならない。

まりそいつ自身無意識レベルでは何となく判ってるわけですよ、

自分背中押してもらいたいだけだ」「覚悟するきっかけが欲しいんだ」みたいなことを。

その「『これでいい』って言われたい」欲望を、肯定してやるのが、

前々からちょっともやもやしてたけど歳をとるにつれてどんどん苦しくなる。

ぶっちゃけた話小学生が話す将来の夢みたいなレベルのことでも「頑張ればできるよー」って言ってやれないくらいになってきた。

小学生ならマジに「頑張ればできる」可能性高いわけじゃん。

つーか、小学生くらいの年齢だと逆に「やれるよ!」っていう勢いというか意志というか、

そういうのの作用が大きい部分ってあるじゃん。伸びしろというか、なんかそんな。

でもそれを肯定してやれない。「やれるよ!」って言えない。いや言うけど。言うんだけど。

言うけどなんか、死ぬほど空々しくて、本当はこんなにぐつぐつと

「やれるかどうかなんてわかんない…」と思ってることを見透かされていたらどうしようと思う。

所詮口だけなんだと。いや実際口だけなんだけど。

でもこういうの口だけってばれた瞬間に魔法が解けるみたいな現象っぽいし。

それはいやだ。魔法かけるならかけるでいいけど、魔法とく側には回りたくない。

本当は死ぬまで魔法かけまくりたい。「大丈夫」って言いまくりたい。

でもなんか、最近すごくそれがしんどい。肯定行為がつらい。

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