教師の心得 - bluelines
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110908/1315487472
この記事はとても良かった。大切なことが記されていて、その難しさもよく伝わってくる(10と11が二段構えになっているのはその難しさの現れだろう)。たくさんブックマークされて、嬉しく感じる。
ただブックマークのコメントを見ると、この10番目の項目「もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない」を教員側の心構えではなくて、単純な事実と解釈したものが多いように見えて心配になった。すこし極端に書くと「もし学生が理解できなくても、学生側は反省する必要はない。反省すべきなのは教員だけだ」という感じに解釈している人がいるように見えて心配になっている。念のため私の解釈をここに記したい。
私の解釈では次のようになる。舞台は大学でもあるし、最終的には学生はそれなりに高度なことが求められる。
学生は最低限の学びのスキルを身につける必要がある。受け身の姿勢ではいけない。自立的に学習する力を身につけなければいけない。そうでなければ大学の講義もなかなか理解できるものではない。ただ、学生が受け身の姿勢でいたとき、教員はただそれを嘆いて終わってはいけない。受け身の姿勢の学生に対して「それではいけない」と伝えて、自立的に学習する力をつける必要があることを伝えて、その手助けもする。そこまで含めて教員の仕事だ。
「もし学生が理解できないのであれば、それは学生のせいではない」というのは、「学生を否定・批判してはいけない」という意味ではない。「否定・批判するだけで終わってはいけない」という意味だ。「もし学生が理解できないのであれば、それは学生の学習の態度・学習の方法に問題があるからかもしれない。その場合、それをただ嘆くだけではいけない。態度・方法の問題点を指摘し、必要なら批判・説教もして、改善の必要を伝えて、その手助けをする。そこまで含めて教員の仕事である」という意味だ。
もちろん学生は必死に学ぶ必要がある。単に専門の知識を身につけるだけでなく「学び方」も学ぶ必要がある。社会に出たあとのことも考えて、できるだけ早く受け身の姿勢から脱して、自学自習できるような「勉強の仕方」を身につけなければならない。そして教員は専門の知識を伝えるのと同時に、この「勉強の仕方」も伝えなくてはいけない。勉強の仕方が身に付いていない学生には、それを身につけさせることも教員の仕事だ。教員はそれを必死に手助けする必要があるし、同時に学生は必死に「勉強の仕方」を学ぶ必要がある。