はてなキーワード: 任天堂とは
・1980年代の漫画(北斗の拳、こち亀、Drスランプ、キン肉マン、キャプ翼、キャッツアイ、シティハンター)
ここらへんは「世代じゃなくても親世代だからテレビでみたことある」というゆとり世代はいるかもしれないが
知ってるのはTikTokなどで誰かが歌ってバズったみたいなパターンくらい(でも元ネタを知らない、ショート動画はいちいち説明しないから)
・浦沢直樹
アニメオタク以外知らない
CLANNADが2009年、メイドラゴンが2017年だからね
知ってるパターンは、「吹奏楽部だからユーフォ見てる」か「イケメン好きだからFree知ってる」か「ヴァイオレット・エヴァーガーデンは知ってるけど京アニは知らない」みたいな感じで
・赤松健
・釘宮理恵
・ひぐらし
・化物語
通じない
らんまどころか犬夜叉も通じないのショック
・ジョジョ
・ジブリ(ただし千と千尋の神隠しが2001年であることに留意して欲しい、ポニョで2008年)
・カイジ
・シュタゲ(この前「シュタゲ見てる?」って聞かれたから、ああいう系は一個ハマると大体見るんだよね)
・エヴァ(知ってるけど見たことないライン、Z世代は案外見たことあるんだけど、2010年世代はもう無理)
境界線にいるやつ
・SAO
・ドラゴンボール(知ってるけど見たことないライン、ゆとりで言うところの1980年代作品)
所感
ディズニーってすごいよね
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コナン、ワンピース、ドラえもん、クレヨンしんちゃんみたいなのは通じる
アニメ映画になってると変わるよね、自分もルパンとか世代じゃないが分かるし
ただ、大山のぶ代が通じないんだよね
HPとMPが通じないのは困る(多分通じる人も居るんだけど常識ではない)
というか任天堂は全体的にブランド化、接点作り頑張ってるよね、カービィも通じるし
ドラゴンボールは難しいんだけど、2000代世代には割と好評だよね、謎すぎる
→ドラゴンボール超がめっちゃ長くてビビった、おまけ程度だと思ってたのに、漫画読もうかな
NARUTOって通じるのかな、HUNTER×HUNTERはなぜか通じる
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なぜ通じると思った?って、そうじゃねんだわ
これ並べるとそりゃ通じないだろってなるけど
話の流れでこのどれかが出た時、突然「◯◯って何?」って刺されるんだわ
あと、最近の作品を説明するときに、「エヴァみたいな」って基準として使おうとして死ぬ
この前は美空ひばりが通じなかった
歌は通じた、スナックで聞いたことあるって、親が飲んだくれなせいか
あと中島みゆきは通じた
クリエイターと自由と責任、というテーマについて色々考えたことをつらつらと書いてみる。長文。
俺は大学在学中から、もうずっと長いこと個人でゲームを作っている者だ。仕事をしつつ余暇でゲームを作り、すでに何作も公開している。大して売れてはいないので、あまり偉そうなことを言える立場ではない。
これまでしてきた仕事は、ゲームとはまったく関係がない。俺がゲーム業界に入らなかったのは、そこに入っても俺が作りたいものを作れないことを知っていたからだ。会社という組織は、自分の作りたいものを自由に作れる場所ではない。
俺には明確に作りたいものがあって、それは個人でも作れるものだったので、ゲーム業界に入る意味が俺にはなかったのだ。
本業の方では、いくつかの組織を渡り歩き、それなりに人を束ねる立場になってきて、組織の仕組みというものがある程度分かって来たところだ。
日本の企業は……いやもう少し主語を小さくしようか、俺が見てきた組織は、末端の従業員の裁量はとにかく小さく、何をするにも上司の承認を通さなければならない。個人が自由に創造性を発揮できる機会などはほとんどない。
そういう体制をディスりたいわけではなくて、それによるメリットもある。
上司の承認を取ることで、自分の行動で何か問題が起きても、その責任を上司に転嫁することができる。そして上司はさらに上司の承認を取ることで、その責任を転嫁する。
そのように組織の中で責任を広く薄めることで、特定の個人の責任を回避する。これは責任を曖昧にして、組織が社員を保護するための仕組みだ。
しかし普通の会社はそれでよくても、自由な創造性が必要な分野では、そういう体制はすこぶる相性が悪い。
クリエイターが創造性を最大限発揮するには、何よりも自由が必要だ。その点で、うまくやっていると思うのは漫画業界だ。
俺は、日本の漫画が成功している要因の一つは、漫画家が組織に属さず、組織から自由であるおかげだと思っている。もし漫画家がサラリーマンだったなら、漫画の内容をまず企画書にまとめて稟議にかけたり、1コマ修正するにも上司の承認を通したりといった世界になるだろう。
編集者がそれに近いことをしているのかもしれないが、漫画家本人はしていないはずだ。もし漫画家本人がそんなことをさせられたら、稟議を通りやすいテクニック、組織の中での立ち回りばかりが優先されることになり、自由な創造性からかけ離れてしまう。
出版社は漫画家にある程度自由な裁量を与え、漫画家が創造性を最大限発揮できる体制を整えている。しかしそのためには、漫画家を組織の外に置く必要があるのだろう。
漫画家のような存在は、組織にとっては異端者であり、組織の中に組み込むことができない。漫画家がいなければ事業が成り立たないにも関わらず、その主役を組織の中に置くことができない。この辺に、日本の組織運営の難しさがある気がする。
しかし自由の代償として、漫画が売れなかった場合、漫画家は収入の大幅減、連載打ち切りといった形で、その責任をダイレクトに負わされることになる。
サラリーマンであれば、たとえ大きな失敗をしても降格程度が済むことが多く、日本ではいきなりクビになることは少ない。サラリーマンは自由を制限される代わりに、ここでも保護されている。
サラリーマンであってもかなり上の役職であれば大きな裁量が与えられるが、その代わりに大きな責任も取らされる。結局、自由が欲しいなら責任を負う必要があるのだ。
ゲームの話から少し逸れたが、ゲーム業界においても80年代頃のゲーム会社は自由が気風が強かったのではないかと思う。いわばゲーム業界そのものが異端だった頃の方が、ゲーム業界は元気があった。新しいものを作るのは、いつだって異端者だったのだ。
俺はゲーム業界にいたことはないのでこれは想像なのだが、当時から残っている大手には、事業の規模が大きくなるにつれて社会の責任が大きくなり、多様なメンバーが集まり、大企業病に冒され、だんだん普通の会社になっていったところが多いのではないか。
任天堂なんかは今でも元気があるが、他に元気のある日本のゲーム企業は少ない。クリエイターが自由にものを作れない環境から創造性は生まれない。
ともあれ、いまゲームを作るなら昔から存在するゲーム企業ではなくインディーズで作るのが一番だと思う。それがもっとも自由な創造性を発揮できる環境だ。
俺なんかは、別の仕事をやりながら余暇でゲームを作るという、いわば美味しいとこ取りでやっている。しかしそういうやり方では、所詮大したものは作れないとも思っている。本業でゲームを作っている人には、やはり及ばない。
それは創作に掛けられる時間の長さという意味でもそうだが、それ以上に、本業でゲームを作っている人は覚悟が違う。
これが売れなければ倒産する、失業する、借金を背負う、そういうプレッシャーを負うからこそ作れるものがある。自由と責任は表裏一体だが、大きな責任はクリエイターを追い込み、本気にさせる。それで潰れる人も多いが、それを乗り越えて初めて達成できるものがある。
俺にそこまでのことはできないので、それができる人は素直に尊敬するし、感服する。俺は、彼らと同じ土俵には上がらず、慎ましく自分の作りたいものを作っていようと思う。
そら何十年もあるシリーズだからしょうがない所もあるだろうけど、そこまだアップデートしてないんだ?!って思う部分がちょいちょいある。
FEで異性としか結婚できないとか(一応あるけどごく一部だけ)そもそも結婚が強制とか。
ゼルダでもハイラル人に多種多様な髪や肌がいるにも関わらずやたら金髪碧眼を強調するとか、ゲルド一族の恋愛結婚至上主義や男子禁制とか、炎上してたサクラダみたいな存在とか。
ピクミンも女性キャラが自分勝手で昭和のドラマのような性格だとか、どうぶつの森も男とは女とはの徹底的なステレオタイプばかりだったり。
でも
みたいなゲーム会社として特異なジャンルのイメージがあると思うが
コナミってシューティングのグラディウス、アクションの悪魔城伝説に野球のパワプロ、カードゲームの遊戯王とイメージがどれか一つにまとまらない
橋を渡ったときのテーレーレーレー テーレレ テーレレレーレー レーレはオープニングテーマ。
最初は無音で,ゲームがしばらく進行したタイミングでメインテーマが流れる,という演出をしたかったんだろうが,任天堂に怒られてできなかった。
はてブのゲームカテゴリでJiniのnoteがホッテントリ入りしてて、まぁ俺は無料部分しか読んでないんだけど。
ゲームなんて誰がなんと言おうと結局は金はないけど時間はある若い人向けの趣味なんだからそういう人達を読者にしないと先細るだろ。
若いユーザー向けのタイトルを出してこなかったプレステが元気なくて出した任天堂が元気なことを誰よりも近くで見てきたはずなのに。
自分達は同じ失敗してんのアホでしょ。
メディアもライターもみんなやりたいのは初期のゲーム批評みたいなのや2000年前後のテキストサイトみたいなのばっか。
そりゃ中にはこういうのもあるよね、程度だったら面白いんだけど商業メディアは全部これ。