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2007-10-02

ひぐらしのなく頃に解についてテレビ局に聞いてみた

「ひぐらしのなく頃に 解」テレ玉放映が打ち切り(休止)で色々騒動になってるようですが

埼玉県民としてテレビ埼玉に問い合わせの電話をしてみた。

で、得られた回答は

「今のところ放送再開の予定はない、あったとしても検討中の段階」

「視聴者には休止として受け止めてもらえれば助かる」

と言うものだった。

でも放送を再開できたとしても他局と比べて1クール遅れと言う事態になるのかね?

2007-09-25

斧事件で

大手メディアで「ひぐらしのなく頃に」を明らかに殺人ゲームであるかのような捏造を行ったのは

産経産経新聞 サンケイスポーツ)と大阪関西ローカル朝日放送ムーヴぐらいか?

今の所。

2007-09-24

科学的な立証方法

「『ひぐらしのなく頃に』を観ると斧で人をぶった切りたくなる」という因果関係を「科学的に」立証するのは恐らく不可能です。

現実験が許されるものではないし、だいたい変数が多すぎるため、対象となる変数、つまり『ひぐらし』の有無のみを変えて実験する、というのが不可能です。「斧で人の頭をカチ割る」というのが非常にレアな事象なのも、検証が現実問題として不可能な事に拍車をかけています。

じゃあ規制は無理かというとそんな事は無く、実際いままで人類は「悪影響がありそう」というファジーな感覚で割と色んなものをバシバシと弾いてきました。実際、規制されるべきものというのは数多く存在するわけで、科学的に影響が立証できないから規制しない、というのはあまりにも消極的に過ぎる話です。科学的な方法論を身に付ける事は大事ですが、それは科学的なアプローチが不能なもの全てに目を潰れ、という事とイコールではないはずです。

可能性、期待値、割合を問題にするのならば、今回の規制は(恐らく局サイドからの要請によるものだと考えて)なんとなく理に叶っているのではないか、と考えます。

http://anond.hatelabo.jp/20070924150844

本文投稿者です。結論から言うと、おっしゃりたいことはわかりますが、科学的に立証するの意味を変に解釈なされていると思います。科学的な立証というときに私が念頭においているのは、主張・証拠・サンプル数(qualifier)・論理などの要素から成り立つ科学的な議論形式のことです。司法・行政・立法それぞれの機関において、科学的方法以外に案件が立証されることはまず無いとおもいます。おっしゃる悪影響がありそうというファジーな感覚というのは存在せず、悪影響があるかもしれないというパーセンテージ、またはわずかな可能性が科学的方法論によって立証され、審議された結果、法律となって社会に広まります。少なくとも公の場で議論をするときは立証責任とそれを満たすための議論内容でないと真っ当な案件であると認められないでしょう。ごたごた言う前に証拠ださんかい、というやつです。しかし、公でない私的な場所であれば、こんな方法を踏まなくても人を説得して意思決定を促すことは可能ですし、科学的方法の修辞学的(意思決定を諭す説得力)な影響力というやつもありますが、ここでは関係無い話ですね。

Re:ひぐらし自粛騒動とマスコミ報道についてを分析してみた

http://anond.hatelabo.jp/20070924051247

「『ひぐらしく頃に』を観ると斧で人をぶった切りたくなる」という因果関係を「科学的に」立証するのは恐らく不可能です。

現実験が許されるものではないし、だいたい変数が多すぎるため、対象となる変数、つまり『ひぐらし』の有無のみを変えて実験する、というのが不可能です。「斧で人の頭をカチ割る」というのが非常にレアな事象なのも、検証が現実問題として不可能な事に拍車をかけています。

じゃあ規制は無理かというとそんな事は無く、実際いままで人類は「悪影響がありそう」というファジーな感覚で割と色んなものをバシバシと弾いてきました。実際、規制されるべきものというのは数多く存在するわけで、科学的に影響が立証できないから規制しない、というのはあまりにも消極的に過ぎる話です。科学的な方法論を身に付ける事は大事ですが、それは科学的なアプローチが不能なもの全てに目を潰れ、という事とイコールではないはずです。

可能性、期待値、割合を問題にするのならば、今回の規制は(恐らく局サイドからの要請によるものだと考えて)なんとなく理に叶っているのではないか、と考えます。

勿論、ことは「表現の自由」に関わる問題であり、慎重に取り扱うべき問題ではありますが(念のために言っておくと、娯楽だから=低俗だから規制しても問題ない、というのは自由の意義を履き違えています。表現の自由というのは、全ての表現を差別無く取り扱う事が前提であって、各種表現をクラス分けして一部だけ自由にする、というのは自由ではありません)。

気に食わないのは、因果関係を主張する人が多い点。それと、「自主規制」な点。

規制論理的判断ではなくフィーリングの問題なのだから、それを理屈を捏ねて正当化すべきではない。論理的でない行動には、論理的な理由説明をつけないのが論理的というもの。

それと、恐れ多くも他人の表現をする権利を侵害して規制をかけようってんだから、誰がそれを言い出したのか、責任の所在は明確にすべき(妄想乙かもしれないけど、恐らく間違いなく「自主」規制じゃねぇだろコレ)。例え権利者側がそれに同意していたとしてもね。

TVをいっさい観ていないので、どのような論調で語られているのか分からないけど、参考意見として。

ひぐらし自粛騒動とマスコミ報道についてを分析してみた

ひぐらしファンとして、放送自粛に嘆き悲しんでいる著者でありますが、マスコミの安易な報道にはもっと嘆き悲しんでいる所存です。ひぐらし原因少女が殺害?ふざけんなよてめぇぬっこぬっこにしてやんよ、ということで、マスコミ報道に対して初歩的統計学知識でもって批判してみたいと思います。以下は、専門家でもマスコミ関係者でもない一ひぐらしファンの戯言です。

原因と結果

何らかの原因と結果を説明する理論を実証するには実験をしなければいけません。実験とは、検証したい変数を限定し、その変数に大してなんらかの人工的な付加をかけることで、理論構築のための結果を導きだそうとすることです。例えば、"ポテトチップスを食べると体重が増える"という理論を実証したいのであれば、必要数の被験者に大してフォアグラ用のガチョウのようにポテトチップスを食べ続けさせれば良いわけです。しかし、実験をするに当たって気をつけなければならないことは、人口的に付加与える変数以外に結果に影響を及ぼし得るような他の変数が多数あると結果は歪曲されてしまう、ということです。たとえば、"ポテトチップスを食べると体重が増える"を実証する実験を行うに当たり、被験者が他に高カロリー食べ物を食べていたり、運動不足であったりすると、検証したいポテトチップスと体重増加の原因-結果関係を検証することが困難です。なので、実験する人間被験者に大して厳しく食事管理を行ったり、適度な運動が可能なような環境を用意することが必要です。実験において重要なことは、検証する変数を限定すること、環境を設定すること、といえます。

関係

実験をすることはお金もかかりますし、手間もかかります。そもそも、変数を限定する環境被験者を長時間拘束することは、検証内容によっては非常に困難になります。そこで、実験の代わりに観察という手段で理論の実証を試みることになります。観察の場合、サンプルとして選ばれた人たちは自然環境で通常の生活をし、実験者が彼らに人工的な付加を与えることはありません。実験者は通常生活を営むサンプルから検証したい変数を含むデータを集め、それをもとに変数と結果の関係性を実証します。重要なのは、観察の場合は、検証している変数の他に結果に影響を及ぼし得る変数がたくさんあることです。"ポテトチップスを食べると体重が増える"を例にとると、観察では被験者からポテトチップスを頻繁に食べるという情報体重を聞き出し、それらの関係性を検証していく訳です。しかし、ポテトチップスを頻繁に食べ、かつ太っているサンプルの人間が、他にも多くの太る原因となる生活習慣を踏襲していることは安易に想像できることであり、ポテトチップスを頻繁に食べることはたくさんの変数の一つでしかありません 。サンプルのデータを使った観察からはポテトチップスという変数体重という変数は並列に位置し、二つは関係している、ということしか導きだせません。ポテトチップスを食べるからピザになる、のではなく、ピザだからポテトチップスを良く食べている、かもしれないのです。多数の変数が関わっている観察においては、原因と結果を引き出すことはできません。

ひぐらし自粛騒動に応用してみる

ひぐらし自粛事件を以上のことをふまえて検証してみます。まず、京都16歳少女の父殺害事件から”ひぐらしのなく頃に”という作品が少女を殺害に導いた、という原因と結果の理論をたてることは、現時点の証拠不足により不可能です。少女が殺害に導いた変数は、父との関係学校での人間関係など計り知れません。 上記で検証したように、原因と結果を検証するには変数を限定しなければならないのであり、マスコミが安易に検証できるものではありません。 以下の

「歪曲して事件に影響があったかのように報道した」説に賛成の人が多いだろう… 何か事件が起こると、浅い考察原因を探すのが現在マスコミのお得意分野であることも事実である。

http://www.encount.net/rettou/2_3267.php

という近添さんの発言を厳密に検証すると以上のようになります。

しかしマスコミは結構狡賢いもので、”ひぐらしのなく頃に”が殺人原因になりましたよーとは言いません。あくまでも二つの事柄の関係性を繰り返し、オドロオドロしい音楽ナレーションにのせて報道することによって、視聴者側が自らの頭で二つの事柄の原因-結果関係を描いてしまいます(マスコミテレビが放送するリアリティーと現実世界の二つを視聴者がごっちゃに考えてしまう、ということを説明するCultivation Theoryという理論もあります)。 マスコミが放送しているのは関係性の羅列でしかなく、原因と結果は厳密な検証が行われないと実証されない、というリタラシーを持って報道を読むことが必要です。

更にマスコミは事件が起こると事件の一般化を試みます。”ひぐらしのなく頃に”を見ていた少女が父親を殺害した、よってかような作品を見ている人間殺人者予備軍、というような図式です。しかし、個々の事件のようなケーススタディーにおいては、事件の構造的解析を行うことはできても、その事件から社会的な構造を描き、実証することはできません。サンプル数が1しかない検証内容なんて鼻糞くらいの価値しかありません。マスコミ報道を読むには、検証にはどれくらいのサンプルが使われているのかを注意深くまた批判的に見ていく必要があります。マスコミがよく使うメタ分析(既に行われている研究結果などを使って実証していくこと。専門家の話というのはこれに当たります)も視聴者自らが論文に当たって理論の検証を行うのが良いのかもしれません。あるある大辞典メタ分析を適当に並べ立てて原因と結果をでっちあげた報道の悪いケースです。

エセ科学報道にも宿るっぽい

エセ科学議論が一時期はやりましたが、エセ科学的な検証方法は科学以外の様々な議論に当てはまります。議論において、原因と結果を実証することは最も難しく、マスコミが行うような一夜漬けの検証では不可能といっても良いでしょう。しかし、マスコミ原因-結果関係をでっちあげる安易な報道は強力な影響力をもっており、間違ったリアリティーを視聴者に植え付けます。マスコミ報道を反証するのに個々の事件に対する知識や専門的な知識はいりません。議論を批判するには、ちょっとした議論形式の知識と申し訳程度の統計学の知識で十分です。lovelovedogさんが似たようなスタンスブログを書いてはりますね。マスコミメタ分析に対するメタメタ分析(なんのこっちゃ) でもってばしばしっと文句をつけていくのが、健全たる市民としての義務だと思います。

2007-08-31

エロ同人誌

http://anond.hatelabo.jp/20070831050927

エロ同人誌って存在するの?

めちゃくちゃ多いです。でも一般には下の図の通りです。

コミケのサークル数、コミケの集客数 - パレートの法則(はてなセリフ)

最近有名なところでは、たとえば、えれっとさんの「にょろーん ちゅるやさん」なんかも非エロ同人誌です。

これはさすがに、同人誌好きでこれを知らない人はモグリといっても過言でないくらい超人気ですが。

ひぐらしのなく頃に」という同人ゲームも非エロだったはず。

2007-08-13

anond:20070813140334

カラマーゾフの兄弟リアルか?

こころリアルか?

ノルウェイの森リアルか?

蹴りたい背中リアルか?

ひぐらしのなく頃にリアルか?

ひぐらしはやってない&読んでないのでわかんない。

蹴りたい背中』と『ノルウェイの森』はストレートリアルなものを感じたかというとそうでもないけど、あるものをリアルだと感じた作者の手触りみたいなものは伝わってきた。『こころ』と『カラマーゾフの兄弟』はリアルだった。

現実的、ということは「リアル」とは違うし、「いままさにありそうなこと」が「リアル」なわけでもないと思う。時と場所を剥いでも、何かを突きつけてくる作品がリアル、なんだと思うけどね。

「ワタシタチ」の「リアル感動

http://anond.hatelabo.jp/20070812200016

子どもはまず「リアル」という言葉意味を知らない。「リアル」の元になる現実的な経験をしてない。

>そして「感動」という言葉意味を知らない。現実に「感動」などしたことがない。

こういうようなことを言う大人がいうリアル感動がニセモノだと感じられる感性こそが、

今のケータイ小説を読む若者リアルであるのだ。

子どもは語彙が少ない。文章の型を知らない。

世界を切り分けて明確に細分化して把握することに長けていない。

しかし、だからといって現実的な体験をしていないわけではない。

現実的な体験を保存・表現する言葉を持たぬだけなのだ。

感動など大人よりもしているといって過言ではない。

一回性の体験を一回性のものだと感じる感性子供のほうが強いことが多い。

そのときそのときにいちいち心動かされる。

しかし、また、いちいちその違いを「言い分ける」「表現する」必要性を彼らは感じない。

仲間に「感動したね」という表出し「うん」と同意して貰えればそれでよい。

どういう「感動」なのかは、仲間といるその場の文脈から判断できるからだ。

「ワタシタチ」という世界を共有する彼らにはそれができる。

子どもはまず「リアル」という言葉意味を知らない。「リアル」の元になる現実的な経験をしてない。

>そして「感動」という言葉意味を知らない。現実に「感動」などしたことがない。

などといいい放つ他者に説明をする必要を彼らは全く感じない。

仲間に「感動したね」と表明し「うん」と同意して貰えるリアルさが全てだ。

そんなものは感動ではない?そうだね、あなたは「ワタシタチ」ではないからね、以上。

「キミはこのお話感動できるよね?」という「ワタシタチに向けられたお話」に「うん」と応答することが彼らのリアルであり、

「ワタシタチのものでない言葉」やそれを使う人なんて理解する必要なんてないよね、という感性こそが彼らのリアルなのだ。

カラマーゾフの兄弟リアルか?

こころリアルか?

ノルウェイの森リアルか?

蹴りたい背中リアルか?

ひぐらしのなく頃にリアルか?

今、現在、この世の中において、<現実に「感動」などしたことがない>なんて言ってしまうナイーブさ。

では、あなたの現実ってどんなの?だれがどこからどんなふうに視た現実からして、彼らの現実現実でないのだ?

2007-07-14

つまんねー知識自慢するクズオタクは死ね

最近、オンラインでもオフラインでも、友達(そう呼べない人もいますが)と話していると、私に対して、相手が意味もなく漫画小説アニメ等の作品名を無差別に羅列しただけの意味のない発言をしてくる事が多いです。

それで後日、先日の相手の発言で、相手がその作品知っている物だと理解した私は、その作品のニュースやら内容やらの話題を相手に出すのですが、そうすると、十中八九、「あれ、お前(私)その作品知らなかっただろ?俺が言った後見たの?」みたいな事を言われちゃうんです。

そういう発言を私は、「くだらないオタクによる知識の披露、ヌルいメタゲーム」としか捕らえてないので、敢えてスルーしているのですが、最近、その中のある一人の友人が私へのヌルメタ知識披露ゲームに固執し始めたんです。

もうそれは、毎日毎日ヒトリゴトのように…。例えば『電脳コイル』『磯光雄』やら…、ほとんど内容とかには触れず、タイトルや名前だけを無差別無意味に羅列していくんですよ。それで私が、その友人も見ているこのブログ以外の場所で、上記の作品・名前について言及したら、その記事に対して「俺が薦めたから見たくせに」とかいう脳味噌が赤出汁としか思えないコメントをされてしまったんです。

その愚図コメントに、さすがにもう我慢できないと思った私は、そいつに

「お前が挙げた作品に対して相手が反応しなければ、それは相手がその作品を知らないと受け取るのか?お前はオタク的知識で私に勝ちたいみたいだけど、私が今までおもしろい作品を薦めてやった過去を忘れたのか?数年前まで『オレンジレンジ』や『ボボボーボ・ボーボボ』を好きだった過去は封印したのか?最近メタだかオタク自己顕示欲に目覚めたのか知らないが、そういうヌルい知識披露オタク談義なら、お前の周りに何人もいる『らき☆すた』を叩いちゃったり、アニメ版ひぐらしのなく頃に』のファンだったりする友達としたらどうだ?」

って言ったら、それ以降私への連絡はなくなっちゃいました。どんだけ打たれ弱いんだ、最近男子高校生は(苦笑)

まぁ、共通の友人の話によると、最後までその人は私のこと男だと思っていたそうですが(笑)ただでさえ、年下に言われたと思っている彼なのに、年下の、それも女に言われたと知ったらどうなるのでしょうか?ホント、こういう方には早く目覚めて欲しいものです。

2007-04-18

「ひぐらしのなく頃に」をやれ

そして竜騎士07の(初期の)画力のなさに絶望しよう。

あれだけへたでもちゃんと商品を作れるということ。

絵がうまいかどうかなんて関係ない。

要は書きたいかどうかだ。

2007-02-09

星空めてお脚本

anond:20070209171434

Forest」は泣けるわけじゃないけど、なんかすごいゲームです。イギリス文学とか詳しくないので(読書は好き)、半分くらい元ネタわかってないんだろうな自分、と思って、とても悔しい。これはゲームならではの演出が多くあって、「これは小説でもアニメでも無理かな」と思うので、あえてゲームなんだと思う。

エロゲじゃなくて、全年齢のゲームでも構わないじゃん」とは、少し思うけどね。対象をエロゲプレイヤーに絞る事で、購買率を上げる目的があるんだと思う。

小説「ゲーム」という「物語媒体」と言う点で考えるとしたら、「ひぐらしのなく頃に」がどのようにヒットしたかを考えるのがいいんじゃないか? あれが小説本として同人誌で出されても、アレだけのヒットになったとは思えない。個人的には「月姫」の奈須きのこ氏も、ゲームだから、というタイプシナリオライターだと感じている(小説も書いてるけどね)。

2007-01-30

誰だ! 「ひぐらしのく頃に」の宣伝しているやつは!

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