2007-08-13

「ワタシタチ」の「リアル感動

http://anond.hatelabo.jp/20070812200016

子どもはまず「リアル」という言葉意味を知らない。「リアル」の元になる現実的な経験をしてない。

>そして「感動」という言葉意味を知らない。現実に「感動」などしたことがない。

こういうようなことを言う大人がいうリアル感動がニセモノだと感じられる感性こそが、

今のケータイ小説を読む若者リアルであるのだ。

子どもは語彙が少ない。文章の型を知らない。

世界を切り分けて明確に細分化して把握することに長けていない。

しかし、だからといって現実的な体験をしていないわけではない。

現実的な体験を保存・表現する言葉を持たぬだけなのだ。

感動など大人よりもしているといって過言ではない。

一回性の体験を一回性のものだと感じる感性子供のほうが強いことが多い。

そのときそのときにいちいち心動かされる。

しかし、また、いちいちその違いを「言い分ける」「表現する」必要性を彼らは感じない。

仲間に「感動したね」という表出し「うん」と同意して貰えればそれでよい。

どういう「感動」なのかは、仲間といるその場の文脈から判断できるからだ。

「ワタシタチ」という世界を共有する彼らにはそれができる。

子どもはまず「リアル」という言葉意味を知らない。「リアル」の元になる現実的な経験をしてない。

>そして「感動」という言葉意味を知らない。現実に「感動」などしたことがない。

などといいい放つ他者に説明をする必要を彼らは全く感じない。

仲間に「感動したね」と表明し「うん」と同意して貰えるリアルさが全てだ。

そんなものは感動ではない?そうだね、あなたは「ワタシタチ」ではないからね、以上。

「キミはこのお話感動できるよね?」という「ワタシタチに向けられたお話」に「うん」と応答することが彼らのリアルであり、

「ワタシタチのものでない言葉」やそれを使う人なんて理解する必要なんてないよね、という感性こそが彼らのリアルなのだ。

カラマーゾフの兄弟リアルか?

こころリアルか?

ノルウェイの森リアルか?

蹴りたい背中リアルか?

ひぐらしのなく頃にリアルか?

今、現在、この世の中において、<現実に「感動」などしたことがない>なんて言ってしまうナイーブさ。

では、あなたの現実ってどんなの?だれがどこからどんなふうに視た現実からして、彼らの現実現実でないのだ?

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