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2008-04-30

anond:20080430081304の参考資料

ふだんは中国共産党のやりように激しく批判的な北京在住の知識人でも、チベットについては、中国が「解放」するまでは「奴隷」だったのに、感謝するどころか恩知らずで、中国に対して暴力的だと話す。「中国なしでどうやってチベット国家として成立するというのか? 解放前は食べるものもなかったというのに」

チベットをめぐる認識ギャップ 西側はそう見るかと中国、怒る――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

東京銀行に勤める上海出身男性(45)は89年の天安門事件をきっかけに出国した。一党支配を続ける共産党は好きではない。政治に興味はないし、リレーも最初は見るつもりはなかった。

 だが、各地の抗議活動を見て気が変わった。「中国にも問題は多いが、聖火の妨害が起きることまで、一方的に中国を悪者扱いするのは我慢ならない」。西側メディアの不公平さを訴えるため、自らチベット問題のビラを作って沿道で配った。

 相次ぐ妨害が、体制を嫌って外に出た中国人の心にさえ火を付け、わき起こる愛国心が皮肉にも、北京五輪中国イメージを変えていく。

asahi.com:聖火リレー 燃え広がる愛国心、冷める世界 - 社会

個人的な見解としては海外の抗議活動は逆効果であったと思う。

中国政府中国人(除くチベット人)が反発し、ダライ・ラマ派との対話を再開する雰囲気づくりが難しくなってしまった。

中国政府の中にも対話派と強硬派がいると思うのだが、中国人民のナショナリズムが高まったことで対話派の行動の余地が狭められてしまった(下手に落としどころを作ろうとすれば、弱腰だと批判される)。

それにしても、上記の例のように中国人ナショナリズムに火をつけた(あるいは、火に油を注いだ)のは海外の抗議活動であるのに、中国国旗を掲げて繰り出した中国人を異様な存在のように見なすのはどんなもんだろうか。

聖火が抗議活動の場にならなければ、在外中国人も「国際常識」にのっとった聖火の出迎え方をしただろうに。

2008-04-19

チベット問題って、ただの反中アイテムだよね

ダライ・ラマっていい人だよね。

でも、俺たちはチベットの為に中国を叩いてやっているんだという人達は彼の次のような発言はスルーするんだよなあ。

中国内外におけるチベット人暴力行為に、断固反対する」

中国オリンピック主催するにふさわしい国」

「(北京五輪について)いかなる妨害もすべきではない」

あの人達チベット中国関係なんてどうでもよくて、いい反中アイテムが手に入ったぐらいの感覚なんだろう。

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/04/39free_tibetfre_6fb5.html

この人に至っては1人の2ch的アホ発言を使って中国人留学生全体に敵意が向くように仕向けているよ。

ブクマコメントでもそういうノリだ。奨学金まで持ち出してバカじゃないの?

でも突っ込みいれると靖国映画上映を妨害している有村治子議員稲田朋美議員みたいに

「そのような意図はない」と誤魔化すんだろうな。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413022323

どんな印象を持ったから悪意と感じた?

ユーモアのみを強調するのは事実を歪曲して伝えていると思った?

ユーモアが強調されすぎて軽薄な人間に思えた?

ダライ・ラマの頭に角生やすポーズ不快、もしくは悪印象だった?

こういう理由だったらちょっとセンシティブすぎやしないか・・・?

いくらなんでも過剰反応だろ。

ダライ・ラマ記者会見でいいたかったことは、、

チベットは独立運動をしているわけじゃないよ!

チベットにちゃんとした自治権ちょうだい!

暴力ダメ!絶対

・文句いったぐらいで投獄はおかしいよ。釈放お願い!

中国政府発表はうそ臭いよ。みんなちゃんと調査して!注目して!

中国政府は僕が扇動しているっていうけど僕はそんなことしてないよ!!

わざわざこういう会見までしておいて、あれだけにこやかに話しをしようとしているのは、

最後の僕は扇動してないよ!を言うために、あんな笑顔を振りまいてるんだと思う。

自分には敵意はありませんよという意思表示以外のなにものでもない。

(もっとも生来お茶目な人なのかもしれんけど。)

いくらなんでも過剰反応だとおもうけどな。

いったいマスコミに何を期待してなにをさせたいんだか・・・。

やろうとしていることが非難している中国のやっていることとほぼ同様というのがなんともいただけない。

ダライラマって書いてあるとダライアスに見えちゃうからやめて

ダライ・ラマって書いてあれば大丈夫なんだけどなー。

悪意感じますよ

http://anond.hatelabo.jp/20080413012230

youtubeコメント欄はご覧になりましたか。

http://jp.youtube.com/watch?v=uxH4ZxtukrQ

私は以下の2点に特に悪意を感じました。

1 ダライ・ラマの発言の多くに字幕がついていないこと。

2 リポーターの発言

キャプションマジック

注意書きっていうのは怖いなと思った。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://jp.youtube.com/watch?v=uxH4ZxtukrQ

YouTube - TV朝日の悪意に満ち満ちたダライ・ラマ法王日報

ダライラマの肉声というのはなかなか聞けなくて、

さらにはジョークを言うなんていうのは結構衝撃で印象に残った。

で、このインタビューが悪意を持って編集されているの悪意というのはなんなんだろう。

この人たちはこのインタビュークリップのどこに悪意を感じたのだろう?

深刻な問題なのに笑っているダライラマに悪印象を持ったから?

それとも世間の人はこのインタビューをみたときにダライラマに悪印象を持つと思ったから?

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2975157

ずいぶんユーモアのあるひとなんだな。

フラッシュ辞めてっていってるのになんでフラッシュたくんだろう。

どうせみんなデジカメだろうしフラッシュなんていらないんじゃないだろうか。

2008-04-03

中国プロパガンダとそれに対する反応

「ダライ・ラマは親ナチ」 中国大使館員が米議会工作 - MSN産経ニュース

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ブクマではやたら中国が「と」扱いされてるが、にされてるが、記事を読めば

ワシントン中国大使館議会対策を担当する書記官が米議会スタッフに対し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がナチスと深いかかわりを持ち、ヒトラーの友人と親交があったという情報を添付した電子メールを送っていたことが2日、分かった。

ということで、とりあえずナチのカギ十字の由来が「卍」なんてことが根拠ではないようだ(全文が判明するまではわからないが)。

ヒトラーの友人と親交があった」という部分で、これはハインリヒ・ハラーのことを言っているのだということがわかる。

ハインリヒ・ハラーヒトラーの友人、ハインリヒ・ハラーダライ・ラマの教師、よってダライ・ラマは親ナチ」という印象操作を行おうとしたものだと思われる。

これでも根拠はかなり弱いものだろうが、ブクマ想像されているほどには無根拠というわけではない。

ハラーのほかにもダライ・ラマBruno Beger - Wikipedia, the free encyclopediaMiguel Serrano - Wikipedia, the free encyclopediaのような、ナチネオナチとも交友関係を持っている。ついでに言うと麻原彰晃とも。(ピノチェトととも親交があったらしいが、はっきりしない)

もちろん、ダライ・ラマナチ以外とも親交があるし、当然ナチ以外との親交の方が圧倒的に多いはず。

……まあ、こういう風にダライ・ラマの交友関係を暴露して、そのカリスマ性を削ごうとしたんだろうが、逆効果になったということだろう。

中国大使館レベルでもこれか」と呆れる気持ちはわかるが、ただ、言論の自由が保障された先進民主主義国家である日本でも、かつてオウム擁護をした知識人が叩かれたり、政治家統一教会やら創価学会の関わりが取りざたされるようなネガティブ・キャンペーンが行われることは忘れてはいけない。

中国が「ダライ・ラマナチスと深い関係がある」という話を聞いて、条件反射のように即座に「トンデモ」と決めつけるのは、中国に対する偏見があることが理由の一つだろう。それから、このようなブクマの仕方は、実はオカルトが好きな自身の内面を投影しているんじゃないだろうか。

2008-03-25

親中派チベット人

今のチベット自治区主席もそうだし、中国政界やマスコミの上層にそれなりに食い込んでるチベット人がいる。なかには大臣になった人も。

彼ら、本当のところはどう考えているんだろうな。

やはりダライ・ラマ祖国統一を邪魔する分裂主義者って心から思ってるんだろうか。

それともチベット経済発展や人々も生活水準向上を目指して努力してきたら、いつの間にか中国共産党の幹部になってしまっていたって感じなんだろうか。

2008-03-22

追記

http://anond.hatelabo.jp/20080322120813

当時の日支戦線において、支那アメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入

していましたが、このルート日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ

越えのチベットルートを開こうとたしました。

しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも「中立」を貫き、アメリカ大統領特使の

強硬な度重なる要求にも断じて応じませんでした。

ダライ・ラマ13世が死んだのは1933年

これってソースあんの?

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51261997.html

太平洋戦争戦前

チベット

日本経済封鎖されて可哀想。羊毛送るよ。

気にすんな。同じ仏教国じゃないか。見過ごせないよ」

戦時中

アメリカ

「おい、中国日本ブッ叩くための補給路確保に、お前らも協力しろ。」

チベット

日本とも国交のある我々は、最後まで中立を貫く。協力はしない。」

戦後

チベット日本と国交があった為「敗戦国扱い」→中国チベット介入→今に至る

恩を返すときが今来たな

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1205769926/

かつて日本大東亜戦争中、「同じ仏教国だから」という理由だけで羊毛を

送ってくれたのがチベットです。

チベットは一貫して「中立」を守り、日本との国交は変わらず続けられていました。

当時の日支戦線において、支那アメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入

していましたが、このルート日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ

越えのチベットルートを開こうとたしました。

しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも「中立」を貫き、アメリカ大統領特使の

強硬な度重なる要求にも断じて応じませんでした。

日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で「敗戦国扱い」をされる

ようになってしまいました。

それが支那共産党につけこまれ、皆さんもよくご存知の現在チベットの状況に

つながっています。

あれから日本は魂を抜かれた国家と成り果てました。

少なくとも、第二次世界大戦までにチベット独立国として承認していたのはモンゴルくらいしかないはず。当然、日本チベットに国交はなかったし、「敗戦国扱い」もされてない。

チベットは国際的に承認されていたわけではないが「実質的に独立」という状態だった。

ただし、中国国民政府)は「チベット中国の一地域」だとして国民党員を置いていた。

チベット支配のきっかけは1949年7月にチベット政府国民党員を追放したことで、人民共和国建国目前の共産党はこれを英米など帝国主義勢力が背景にあると見なして、「祖国解放」「祖国防衛」の決意を強くしたことにある。

人民解放軍チベット進駐が1951年と、朝鮮戦争と同時期に行われたのは、この両方を帝国主義勢力の中国侵略からの防衛であると中国が位置付けていたからだ。

第二次世界大戦チベットが「敗戦国扱い」されたことが、現在チベットの状況につながっている、というのは二重の意味で間違いといえる。

「敗戦国扱い」につけこまれるというなら、国民政府の方が早くチベットを「解放」していただろう。

こちらはソースというか参考文献を挙げておく。

毛里和子『周辺からの中国東京大学出版会1998年

奥村哲『中国現代史青木書店1999年

2008-03-18

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080318-00000940-san-int

一方で「ダライが独立の主張を放棄し、チベット台湾中国の不可分の領土であると承認すれば、話し合いの門戸はいつでも開いている」

ダライ・ラマは独立主張を放棄したせいで亡命チベット人の若い世代からは突き上げを食らってるくらいなんだけどな。

ダライ・ラマ中国と若手チベット人板ばさみになってる形なんだが、まさか中国はそれを知らないのかな?

このまま、ダライ・ラマの影響力が衰えたり、死んだりすれば(彼ももう高齢だし、転生の問題は火種になるだろうし)、中国政府は真のチベット独立派や過激派と直接対峙することになって、事態は悪化すると思うんだが。

2008-03-17

太平洋戦争の開戦前経済封鎖された日本国に対し、

チベット政府から大量の羊毛が送られて来ました。その理由はただ、

「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」

でした。

戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との

国交は変わらず続けられていました。当時の日中戦線において、

中国アメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、た

このルート日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えの

チベットルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世は

あくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な

要求にも断じて応じませんでした。

このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に

悲劇をもたらす結果となりました。

1945年8月15日・・・日本の敗戦です。

日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台

「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。

その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、

中国もそのメンバーになりました。これが更なる悲劇の幕開けでした。

ttp://homepage3.nifty.com/~dennoji/t_gallery.htm

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