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2008-03-22

これってソースあんの?

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51261997.html

太平洋戦争戦前

チベット

日本経済封鎖されて可哀想。羊毛送るよ。

気にすんな。同じ仏教国じゃないか。見過ごせないよ」

戦時中

アメリカ

「おい、中国日本ブッ叩くための補給路確保に、お前らも協力しろ。」

チベット

日本とも国交のある我々は、最後まで中立を貫く。協力はしない。」

戦後

チベット日本と国交があった為「敗戦国扱い」→中国チベット介入→今に至る

恩を返すときが今来たな

http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1205769926/

かつて日本大東亜戦争中、「同じ仏教国だから」という理由だけで羊毛を

送ってくれたのがチベットです。

チベットは一貫して「中立」を守り、日本との国交は変わらず続けられていました。

当時の日支戦線において、支那アメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入

していましたが、このルート日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ

越えのチベットルートを開こうとたしました。

しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも「中立」を貫き、アメリカ大統領特使の

強硬な度重なる要求にも断じて応じませんでした。

日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で「敗戦国扱い」をされる

ようになってしまいました。

それが支那共産党につけこまれ、皆さんもよくご存知の現在チベットの状況に

つながっています。

あれから日本は魂を抜かれた国家と成り果てました。

少なくとも、第二次世界大戦までにチベット独立国として承認していたのはモンゴルくらいしかないはず。当然、日本チベットに国交はなかったし、「敗戦国扱い」もされてない。

チベットは国際的に承認されていたわけではないが「実質的に独立」という状態だった。

ただし、中国国民政府)は「チベット中国の一地域」だとして国民党員を置いていた。

チベット支配のきっかけは1949年7月にチベット政府国民党員を追放したことで、人民共和国建国目前の共産党はこれを英米など帝国主義勢力が背景にあると見なして、「祖国解放」「祖国防衛」の決意を強くしたことにある。

人民解放軍チベット進駐が1951年と、朝鮮戦争と同時期に行われたのは、この両方を帝国主義勢力の中国侵略からの防衛であると中国が位置付けていたからだ。

第二次世界大戦チベットが「敗戦国扱い」されたことが、現在チベットの状況につながっている、というのは二重の意味で間違いといえる。

「敗戦国扱い」につけこまれるというなら、国民政府の方が早くチベットを「解放」していただろう。

こちらはソースというか参考文献を挙げておく。

毛里和子『周辺からの中国東京大学出版会1998年

奥村哲『中国現代史青木書店1999年

 
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