2008-03-17

太平洋戦争の開戦前経済封鎖された日本国に対し、

チベット政府から大量の羊毛が送られて来ました。その理由はただ、

「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」

でした。

戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との

国交は変わらず続けられていました。当時の日中戦線において、

中国アメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、た

このルート日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えの

チベットルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世は

あくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な

要求にも断じて応じませんでした。

このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に

悲劇をもたらす結果となりました。

1945年8月15日・・・日本の敗戦です。

日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台

「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。

その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、

中国もそのメンバーになりました。これが更なる悲劇の幕開けでした。

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