毒親という概念をどこか遠い世界のものと思っていたが、よく考えたら自分の親も毒親だった。
まあ、暴力やモラハラの「わかりやすい毒親」ではなく、過保護過干渉の「わかりにくい毒親」だけど。
親戚の話を聞く限りでは、親の親が「わかりやすい毒親」だったらしい。
親が縁を切ったもんで、自分と直接の面識はないのだが。
きっとその反動で頑張ったあまり、「わかりにくい毒親」になってしまったのだろう。
毒親は連鎖すると聞いたことがあるが、それを絶とうとした努力が「わかりにくい毒親」に至るとは皮肉なものだ。
まあ、自分としては、親が頑張ったことと「わかりにくい毒親」になったことは並立するんで、毒親から逃げるんだけれども。
決別のときだわ。