ある作品があり、それに対して反感の思いを抱くとしよう。
あなたはそれを批判する。
その時生まれる情熱は衝動となり、あなたをつき動かす。
だが、批判するだけでは無意味に過ぎない。
批判は納得だ。
ある事情に対して、自らが納得する解釈を吐き出す行為に過ぎない。
そして、そこで情熱は潰えてしまうだろう。
納得は敵だ。
反感の思い、生まれた情熱は生かさなくてはもったいない。
重要なのは嫉妬。執念。理不尽。不条理。非常識。蟠るそれらの思いをぶつける先を見つけること。
ある作品に対して反感を抱き、できる精一杯の恩返しは別の作品を作ることである。
反感の思いを無為に費やしてはいけない。
それは希望の糧であり、恵みの園であり、イメージの先駆けとなるだろう。
物事を批判することは容易い。
それによって自分を納得させるのはより容易い。
それでも、納得は敵なのである。
Permalink | 記事への反応(1) | 02:40
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そんなことない 理不尽に満ちている世の中ではつきつめていけば納得できないことなんて山ほどあるよ たとえば一つの納得を2秒ですませても一生かかってまだ納得できないことだ...