『良いことをしなさい(人に親切にしなさい)』ほど強力な教育ではなかったので、嘘をつくことに忌避感があるというよりは、単純に嘘をつく能力が無かったんやろなぁ
(そもそも、両親ともに能力と雑な感覚の問題で割とどうしようもない嘘ついてたし、子どもは自分自身の世界観の話をすると認識していてイチイチ指摘もしてこなかった)
『良いことをしなさい(人に親切にしなさい)』は、けっこう強力な教育だった
良いことをすると、犬を褒めるみたいにめっちゃオーバーに褒められた。というか現在に至るまで特にそれ以外で褒められた記憶がない
なぜか自動車免許取った時に褒められたが、テストの点でも、有名企業に就職しても、そこそこ稼いでも、何かを作っても、特に褒められた記憶はない
でも、誰かを助けてやったとか、そういうのなら最近も褒められた記憶がある
未就学時から根気よく書きの訓練をやってくれたこと、良いことをしましょう(人に親切にしましょう)は、だいぶ人生変えてくれた気がする
なんでやってみようと思ったのかはわからんけど(人や物に執着が薄かったらしいが特に発達上の指摘は受けていなかったそう)、
いろんな運が重なって今が有るんだなぁとは思う