強烈な被害経験がアイディンティティに組み込まれると、人は客観的な議論が難しくなり、自衛と攻撃が一体となってしまうのだと思います。
例えばディアスポラとホロコーストを経験したユダヤ人は、それを二度と繰り返さぬように核兵器を持ち国連決議を無視しても入植地の拡大=侵略を続けてしまうよう。
これと似たような状況がごく一部の弱者男性・ごく一部のフェミニスト・ごく一部の障害者の方などにはあるのだと思います。
社会としては、権利はしっかりと擁護し地位の向上や幸福の促進を図りつつ同時に危険な攻撃は認めない、というような対応が必要なのだと思います。
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