俺が今会社でやってる「将来性はないがクビにするほどじゃない程度のベテランとしての係長」という役割は、結局のところ俺じゃなくても演じられる。
思えば入社した頃の「やる気も元気もないが従順な新人」という役割だって、俺以外の誰かが変わりに演じることが出来るだろう。
その役に沿った演技をすると周りにいる人間がその役に対しての然るべきアクションを演目通りにとっていく。
そうしてお互いに演じ合う役の中で、他の誰かでも代用できるものしかやらずに生きてきた。
親からしたって「ひとまず障害は持たずに産まれてきた我が子」という役を演じることしか期待されてこなかったし、その役者の性格が多少違ってもその対応が大きく変わったとは思えない。
それがふと悲しくなることがある。
俺じゃないと演じられる俺じゃなきゃ駄目な役をやりたい。
それが時折限界を超えそうになる。
俺はホットドッグを美味しそうに食べるロールをやりたいと常々考えている