2007年、初代プーチンは演説でNATOの軍拡志向を非難し、それ以降西側はロシアをしばしば煽っており、ウクライナも犠牲にしている
2代目プーチンは大統領選挙で当選したとき涙を流したが、これ以降はフォエデラティのそれだったということも可能性としてはある
・国連の停戦推進努力の少なさ
・検察を使った市民言論弾圧
・ナチス第一回党大会と同年月の侵攻開始
・資産格差の拡大問題が報じられなくなった
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