表現の自由の反対側に「その表現を見たくない人の自由」がある訳で、見たくない人の権利を守る目的で表現は規制を受けるべき場合が多々ある。
これ自体はもっともな事なのだけれど、見たくない人の権利をどこまでも認めて表現を狭めていくということは
「公共の場所である街頭でベタベタするバカップルを見ない権利」「大通りを手を繋いで歩く同性愛者を見ない権利」
みたいなものにも配慮を求めろって話にもなりかねない、というかそれが当然視された時代はそんなに前じゃない訳で、線引きは本当に大事である。
逆に見たくない人の権利を一切認めず、現行の刑法に引っかからない限りあらゆる表現には無制限の公表の自由がある、みたいな話をする連中は有害であり、批判されて然るべき連中である。