2021-10-05

anond:20211005214035

今回の広告若者ターゲットということだったが、若者以外が見ないわけではない。誰かが不快になる表現はなるべくあってはいけない。

違うのだ。

誰かが不快になる表現なんて、世の中にはあふれすぎているんだ。

自分の例を挙げようか。

大滝詠一の『君は天然色』をカバーしている女性歌手の曲がCFで流れているけれど、

あれ、不快なのよ。下手くそだし。バックの演奏も含めて、「そうじゃねえ」って毎回思っているのよ。

ただ、それはあくま個人的なところだし、その15秒とか30秒とかを我慢すればいいだけなの。

で、我慢しているの。

で、それでいいじゃんって。

不快になる表現なんて、ある意味、どれもそうなのよ。

不快まりない表現なんて、あふれているのよ。

でも、それは放っておけばいいのよ。

だって自分あてに表現しているわけじゃないことを分かっているから。

もし、自分不快に思わない表現だけで世界が満たされたらうれしいのかっていうと、

それは違うよねって、客観視できれば、理解できるもの

  • お前が我慢する/したいこと と 他人が我慢しなければいけないこと には何も関係がないけど大丈夫?

    • 君が我慢したくないことは 社会的に優先される要素ではないということ

    • えっ? 元々 「公共広告というのは基本的にすべての人を対象としたものだ。今回の広告は若者がターゲットということだったが」 と、この1行で矛盾しているんだが。 その上で、 「誰...

      • ん? それは一般論だよね。 できればあなた自身はどうするか、主語を「自分」にして語ってくれると嬉しい。

      • いや、どちらにせよ我慢しなきゃ良いじゃん。 それとも「その気になれば我慢できる程度の不快感」と「耐え難い不快感」を同一視したい理由でもあるの?

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