死人には口がないし
死にゆく者を憂い悲しみ不幸と思う人間がその一つ一つに感情をあらわにしていたら悲しみなんぞ記録できないので
記録にはそういうものだと記録をすることに専念せざるをえず幸福か不幸かをいちいち書き記してられないやろ
そしたら生きた人間が残った情報をみても不幸やらなにが幸せやらは過去の事例からは掘りだせないし
昔が不幸だったかどうかとか今からみて過去の人間は今を比べることができないのに何と比べて幸福を望んで
どんな不幸を天啓の幸と比べて足らぬと考えて不幸といっていたのかわからんよね
だったらその当時はそれなりに幸せだったんじゃないの?
野生動物もいつ襲われ死ぬかもしれないなにも予定も計画も保証もない世界で幸福なのか不幸なのかと考えたら
そんなものはないんじゃないの