選択的夫婦別姓に対する意見の一つとして、『これを認めれば、「なぜ同性にしたのか?」や「なぜ別姓にできるのにしなかったのか?」という批判が生まれる』というような主張がある。どちらの選択をしたとしても、社会や不特定多数から批判されると指摘する。
一方、安楽死・尊厳死に対しては、「社会や不特定多数から、安楽死・尊厳死を選択させられる」というような反対意見が見られる。
このような言説を見ると、「個人の選択肢を増やすこと」だけが目的だけではなく、「個人が自分のことを自分で決められるようにすること」という観点が、あまりに見過ごされているように感じる。
これを重視すれば、「なぜこれを選ぶのか(これを選ばないのか)」という批判はこの自己決定権を奪うものであり、「それしか選択せざるを得ないような環境に置かれること」もまた、正されるべきものとなる。
このような主張が「制度を導入すべきでない理由」として扱われるべきものではなく、これらの主張そのものも、この観点から批判されるべきだと思う。
そやな。