和歌で人事が決まるとか今の目から見ると異様に見えるけれど、そのころはそれが合理的だったわけで。
なぜそうなったのか想像してみると
・実際に仕事を任せる前にその人物の知性を測る共有可能な基準が他にまだ開発されていない(詩は誰もがその質を確認可能)
・紙やミーティングの機会自体が極めて貴重な時代なので、(ファミコンのプログラミングのごとく)いかに短い文章に多くの意味やニュアンスを含ませられるかや、いかに記憶に残る言葉にできるかが実務レベルでも必要だった
くらいは思いつくんだけれど他にあるかな
Permalink | 記事への反応(1) | 14:49
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教養があって自然の機微を読み取れる繊細さや観察力があり多様な表現ができる人間が重要なポジションにいないと困る時代、組織だったんだろうね