まあつまり何が言いたいかと言うと
差別と文化や人間としての活動はそれぞれ複雑に被っていて、差別と反差別が対称的であるとかそういうわけでないわけよ。
理想的な差別撲滅活動って言うのは反差別だけ叫ぶんじゃなくて、上記の理由から人間と向き合わなきゃいけないのよ。
だからものすごく時間も金もかかるし、そもそも完全に解決するかどうかもわからない。どうすればいいのかわからないのよ。
その結果、対象を丸ごと排除しようとしたり、価値を認めなかったり、殺したり、家や店を燃やしたりするのよ。
人間と向き合うってことは自分と向き合うことだから、それに耐えきれなかったり、そもそも最初から諦めてしまうのよ。人間は低きに流れるから。弱いから。
Permalink | 記事への反応(1) | 18:01
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くらってみれば、わかるよ。