すべてが繋がった
電車内で電話をしてはいけないのも
公衆の面前でイチャついてはいけないのも
ツイッターの空リプが嫌われるのも
コミュニティの身内ネタが嫌われるのも
ひとえに「愛を公にするな」の一言で説明できる
なぜならば、愛とは独占的で、不公平で、排他的なものに他ならず、
いうなれば、我々は誰かを愛している時点で「差別主義者」なのであり、
我々は無意識のうちにそれを不快と断ずるのである
人である以上、人を愛することは避けられまい
「人を愛する以上、独占的・不公平・排他的な振る舞いと無縁ではいられない」
「人は誰もが差別主義者」などと、雲をつかむような表現より、よほど真に迫ってくるものがある
その愛とは、異性愛に限らず、身内・友人・組織にも適用される、いわゆる隣人愛である
「誰に対しても愛せよ」といったところで、それは愛していることにならない
なぜならば、平等とは、「平等に価値がない」のである
Permalink | 記事への反応(1) | 13:50
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近代より以前の用法だと愛って執着心とほぼ同義だしね