「人間は平等である」という話と、「世の中には善悪がある」という話、どちらかが嘘だ。
人間が平等であるのならば、すべての価値観は相対化されることになり、どんなものの見方、考え方も同じく尊重されるべきものであってそこに善悪はない。
世の中に善悪があるのならば、すべての価値観は善悪の定規により優劣がつけられ、優れたものの考え方をしている人間と劣ったものの考え方をしている人間がいることになり人間は平等ではなくなる。
結局のところ、今大きなムーブメントとなっている価値観の対立は、人間の平等性を信じるか、世の中の善悪を信じるかの対立に帰着されるもののように思う。
ただ、話はそこまですっきりしていなくて、世の中には善悪があり人間は平等ではないのだ派閥と、世の中には善悪があるが人間は平等なのだ派閥の争いになっているように見える。
前者はプリミティブな考えであり、後者は前者よりも考えが込み入っているが故に混乱している。
人間の平等性にこそ重きを置くのならば、価値観の多様化を認めざるを得なくなり、人々のコミュニティは断絶せざるを得ないだろう。人は異なる価値観を持った人を隣人にはできない。多様性を標榜する人々も、多様性を認めない人を多様性の一部として受け入れることはしていないことがその証左だ。
世の中の善悪にこそ重きを置くのならば、人間の平等性を認められなくなり、選民思想は消えることはないだろう。つまり、差別は今とは形を変えるとしても残り続ける人間の原罪となる。差別は必ず「劣った人々」に対して行われてきた。
簡単な話 子供は必ず「スナック菓子だけをたべて歯磨きをせずに寝たい」といういきもの 善悪がわからない子供を平等に扱うべきではない 秩序が崩れる
ドストエフスキーの小説のコピペ