2020-06-17

平等善悪、どちらかが嘘

人間平等である」という話と、「世の中には善悪がある」という話、どちらかが嘘だ。

人間平等であるのならば、すべての価値観は相対化されることになり、どんなもの見方、考え方も同じく尊重されるべきものであってそこに善悪はない。

世の中に善悪があるのならば、すべての価値観善悪の定規により優劣がつけられ、優れたものの考え方をしている人間と劣ったものの考え方をしている人間がいることになり人間平等ではなくなる。

結局のところ、今大きなムーブメントとなっている価値観対立は、人間平等性を信じるか、世の中の善悪を信じるかの対立帰着されるもののように思う。

ただ、話はそこまですっきりしていなくて、世の中には善悪があり人間平等ではないのだ派閥と、世の中には善悪があるが人間平等なのだ派閥の争いになっているように見える。

前者はプリミティブな考えであり、後者は前者よりも考えが込み入っているが故に混乱している。

人間平等性にこそ重きを置くのならば、価値観多様化を認めざるを得なくなり、人々のコミュニティは断絶せざるを得ないだろう。人は異なる価値観を持った人を隣人にはできない。多様性標榜する人々も、多様性を認めない人を多様性の一部として受け入れることはしていないことがその証左だ。

世の中の善悪にこそ重きを置くのならば、人間平等性を認められなくなり、選民思想は消えることはないだろう。つまり差別は今とは形を変えるとしても残り続ける人間原罪となる。差別は必ず「劣った人々」に対して行われてきた。

さて、どちらが嘘なのか。人々はどちらを真実とするのか。あなたはどちらが真実だと思うのか。

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