それを代償行為・追体験と断ずるような矮小な捉え方をし続ける限り、その消費者も生産者も見下しつづける害意に歪んだ怪物になる道から逃れられない。
自分の捉え方こそが「本質」だという傲慢によって自分が怪物になっていることを誤魔化していないか?
リアリティショーやAVが俗っぽい部類の娯楽であることは事実であるけれども、その考え方だとオペラや歌舞伎といった伝統芸能、あるいは映画や小説のような芸術作品が描く人間模様もすべて自分の人生と向き合わないアホが消費する気持ち悪い娯楽と捉えることになるのではないか?
そうでないと言うのなら、その境界はどこにあるのか?
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