いいえ、表現の自由には(個人攻撃や個人情報暴露等の急迫不正の侵害以外は)如何なる制限も無用です。
「秩序」の名のもとに表現の自由を制限した結果70-80年前に何が起こったのか、愚者は本当に歴史に学ばない。
言論を完全に止めること無く、日々の生活に不快感を与えること無く、うまい具合に落とし所を見つける適切な制限が必要。
ましてや「個人の不快感」など考慮に値しない。
なぜなら誰にも不快感を与えない表現など何一つ存在しないから。
民主主義国家において表現の自由の侵害を訴えることは、殺人の要求に限りなく等しい。
「落としどころ」などというのは、「小指くらいなら、片腕くらいならなくしてもいいだろう?」といってるのと同じ。
それでもなお「不快感を与えられたから表現を撤回せよ」というのなら、そのルールに従ってまずご自分が黙り給え。
Permalink | 記事への反応(1) | 12:15
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社会的責任を担う組織が、社会に受け入れられるために自己の表現に自分で制限を課すことは何も問題がないんだよ。 それは、表現の自由が無いわけではない。 社会にどう見られたいか...