つい最近まで、言語化能力に乏しいのが原因だと思っていて、その能力を身につければコミュニケーションが円滑に取れるものだと思っていた。
しかし実はそうではなかった。世間への関心やそれに対する感情が欠如しており、そもそも言語化する要素がないのが原因だと気付いた。
相手が、
と言ったとする。
しかし、私には世間への興味やそれに対する感情が乏しく、引きこもっているわけでもないのに今日が寒いかどうかを覚えていない。そのため、「今日って寒いのだろうか?」と疑問を抱いてしまい、答えに窮してしまうのである。
実際のところ、上に挙げた程度の話であれば適当に合わせておけばよく、寒いかどうかも分からないまま「寒いですね」とパターン的に答えることが多い。しかし、世間話がもうちょっと進んで、複雑化・個別化してくると、パターン応答だけでは成り立たなくなってきて、“コミュ障”が遺憾なく発揮される。
とりあえずニュース見れ
この増田は自身に知らないことが多いと気づいたんだね なら、相手に聞いてみたらそれがコミュニケーションになるんじゃない? 「昨日の野球中継みた?」って話振られたら、「実は野...
上の方も「知らないことは聞いてみたら?」と言ってるけど、私もそれに同意です。 「今日は寒いですね」って話しかけられて、(今日って寒いのだろうか?)と疑問を抱いたのならば...
普通に言語化能力が低いままってだけじゃないの? よく喋る人はラジオのDJみたいにずっとよどみなく喋ってるし、それが負荷になるどころか報酬にすらなっている。
「今日 寒い」でググると気温や服装指数が出てくる