2018-08-29

anond:20180829111343

ここ20年ぐらいは、倫理学がずっとこういう話してるね。

例えばブームになったサンデルコミュニタリズム

ある差別撤廃することは必ず別の何かを抑圧することになる

したがって絶対的正義はどうやっても不可能

何が正義かは共同体の話し合いでのみ決められる

という話。これなら、差別主義者が生きにくくなったとしても、その方向でいくのが共同体同意ならばそれが正しい、ということになる。(この方針には賛否両論あるのだが)

あるいは、進化倫理学とか言い出している人もいる。

もしも人間進化過程で、生まれつき差別をするような生き物として生まれているならば、倫理はそういう生き物である人間可能範疇で設定されねばならないという話。

この文脈では、増田の言う通り、差別を完全に禁止することはむしろ許されない。

記事への反応 -
  • 「差別や偏見のない世界」を目指すのはいいけれど 「差別や偏見」をしないとストレスたまりすぎて生きていけない人とか存在すると思うの きれいな世界にしようとしすぎて誰かを殺し...

    • ここ20年ぐらいは、倫理学がずっとこういう話してるね。 例えばブームになったサンデルのコミュニタリズムは ある差別を撤廃することは必ず別の何かを抑圧することになる ↓ したが...

    • そろそろ逆張りカッコいいは卒業していい 偏見と差別の世界で最初に殺されるのは力無き者 次に殺されるのは尖った才能を持っているが後ろ盾(権力やマジョリティの加護)の無い者 わ...

    • 本邦リベラルいわく、「不寛容には不寛容であるべき」らしいお。 分かり易く訳すと、「(本邦リベラルに)逆らうものはみな殺せ」

    • 人間の汚いものを押し殺すのが連中のやり方 汚いものを問題視するのは当然だが、奴らの「押し殺す」方法がファシズムじみてる 増田がそのような不安を抱くのは当然の反応

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