2018-08-14

anond:20180814140443

けっこう気づいてないだけで、一切の信心がない人というのはなかなかいないと思うよ。

絶対に誰も見てないとして、鳥居に向かって立ちションする?鳥居は避けて茂みとか適当な木の根元とかにするんだったら、あなたの中には少しかもしれないけど信心があるよ。

いまはいいかも知れないけど、仮に今後、人でも動物でも大切な存在ができたとして、それが亡くなってしまったときに、形式はどうあれ、なにかしらの葬式をしてあげたいと思う可能性はない?

命日に墓参りして楽しかった思い出を思い出したくなる可能性はない?たまには墓を自分できれいにしてやりたいって思う可能性はないかな。

葬式も墓も死者のためというより、残されたもののためにあると考えた方が納得性はたかいかもね。

ちなみに、メンテの話だけなら、メンテ不要な納骨堂とかあるんでそれを生前に購入してもいいかもね。

  • たちしょんは一つの例示に過ぎないのだろうけど、現代人の倫理としてあり得ないのでない。 他は何にも思わない。

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