小学生の頃、母ちゃんに唾くれおじさんが出没しているから気をつけるのよ、と言われたことがあった。
当時、純粋無垢の権化だった僕は、「なんで小学生の唾なんてフィルムに集めたがるんだろう」と不思議でしょうがなかった。
あれから、四半世紀の時が流れた。
社会という荒波に飲まれていくうちに、凶暴なもう1人の自我が芽生えていることに僕は気づいてしまった。
そう僕は、いつからか小学生の唾液を集めたくて仕方がなくなっていたのだ。
一日のうちで、ヒトの心を持つ「僕」の時間と、唾くれおじさんになって意識のなくなる「おじさん」の時間がある。
どうやら唾くれおじさんとしての時間の「おじさん」は、乱暴なことをしているらしい。
最近では、「僕」の時間よりも、「おじさん」である時間が増えている。
意識を持つ「僕」は、それを振り返るたびにとても苦しい。
でも、無意識で過ごす「おじさん」はその苦しさがない。
だからいつか、この「僕」が消えてしまえば、「おじさん」はしあわせなんだ。
もう時間がない。
誰か、おじさんが集めた数千のフィルムケースを受け継いではくれないだろうか。
後世に伝えないでは、死んでも死にきれないんだ。