・内心を忖度しての行動(以下慣用に準じ単に忖度と呼ぶ)は人間の想像力によって行われるため、しばしば思いもよらないところに着地する。
・忖度があったかどうかを忖度された側が気づくのは困難である。特に意図と違った場合には。
・だから、忖度はなかった、と言えるのは実行側の人間であり、上役ではない。
・忖度により変なところに着地した責任を忖度された側に負わせるのは酷である。
・忖度によってやるべきことをしないあるいはやるべきでないことをするようなことが起きたときは、それでも忖度を優先させるインセンティブを与えてしまったのではないか、という点では忖度された側に責任なしとしない。
・ただし想像力がやたら肥大化したやつの暴走まで責任は取れない。
・とはいえゼロベースで誤解を与える振る舞いはなかったか振り返るぐらいはしてほしい。
・背後に誰かが存在する、というのがハッタリであったとするのはいいとして、それがハッタリとして機能してしまったとするなら、そうさせてしまったことにはある程度の責任があるだろう。誤解を与えるような振る舞いがなかったか振り返り、もし改めるべきところがあれば改めてほしい。