2018-01-27

anond:20180127153429

フェミニズム的な考え方をするからといって

すべての差別に敏感であるとは限らないし

またそうであることは原理的に不可能だ。

だれだって自分がしてしま差別より、自分がされる差別の方に敏感なのは仕方がないことだと思う。

男性女性も問わず

から自分が辛いことには声をあげる自由があって、

他人が声をあげたら聞く必要がある、と、

基本的に私はそう思っている。

それが適切にできる人は、フェミだろうがそうでなかろうが

そうたくさんはいないだろう。それだけのことではないか

自分が「大したことじゃない」と思っても、他人にとってそうではないことがあるから

誰かが声をあげたら真面目に聞きたいと私は思っている。

けれども、差別を「嫌いな誰かを殴る手段」に使う、

という事実は、隠然とあるのだと、今回思わざるを得なかった。

これに対してどう考えていけばいいかまだ答えがでないでいる。

記事への反応 -
  • 前提として、社会に適応する人間はみんな差別をする。 力仕事をメインにする仕事は男ばかりを採用するし、 人前に出る業務にはなるべく見目の麗しい人を選ぶし、 男性保育士が事件...

    • フェミ自身に差別感情の自覚があって、その上で自分の感情を表現しているのならともかく そんな自覚は全くないか、あっても自分たちなら許されるって感じの人の方が多い気がします...

      • フェミニズム的な考え方をするからといって すべての差別に敏感であるとは限らないし またそうであることは原理的に不可能だ。 だれだって、自分がしてしまう差別より、自分がされ...

      • フェミニズム的な考え方をするからといって すべての差別に敏感であるとは限らないし またそうであることは原理的に不可能だ。 だれだって、自分がしてしまう差別より、自分がされ...

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