正確には増えてきたと言うべきか
Twitterやブコメなどで,叱責・説教するといった意味の「詰める」をしばしば目にするようになった
私はこの表現に馴染みがない
問い詰めるや追い詰めるの「詰める」には似たような雰囲気を感じるものの,単体の「詰める」はあくまで箱に詰める,差を詰める,チェックメイトなどのニュートラルなイメージであり,
「上司に激詰めされる」から漂う執拗にこちらの非をあげつらうような負のオーラは感じられない
予想だが,この変化は詰める(つめる)と詰る(なじる)の混同から生じたものではないだろうか
まず,「なじる」という言葉,あるいは「詰る」をそう読むと知らない人が「詰る」を(つめ・る)と誤読する
その人は「つめる」にはこんな(「なじる」的な)使い方もあるのだと認識する
そして今度はその人が「なじる」的な意味合いで「詰める」を使う
こうなるともう「つめる」としか読めないので,より多くの人が「なじる」的な「詰める」に触れることになる
もとをたどれば誤用かもしれないが,この「詰める」は「詰る」とは袂を分かって独自に発展している
「激詰め」まで来るともはや「詰る」に"直す"というのはナンセンスだろう
なんでこの人は「問い詰める」などの略語という説をあっさり捨ててるんだろう。 多分「『詰』を『なじる』と読むんだ」という発見をみんなに知ってもらいたく自説にこだわってん...
なるほどなあ、中途半端に国語に関心があるとこういう増田になるのか 詰められるっていうのは「雪隠詰め(せっちんづめ)される」の略から来ているのを知らないんだな
→ https://anond.hatelabo.jp/20171123210453